かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『月光色のチマ』

 

作者の韓勝源(ハン・スンウォン)は1939年生まれ。
故郷の海辺に生きる人々の姿を中心に、土俗的な香りのある文体で描くことで知られ、現代文学賞、韓国文学作家賞、李箱文学賞等数々の受領歴を持つ、韓国を代表する作家だ。
近年はこれらにもう一つ、あの「 ハン・ガンの父」という紹介文が追加されることが多くなったようだ。
本作は作家の自伝的作品なのだという。


まもなく100歳になるという母の介護は、70代の夫婦にとって体力的に限界で、20も年が離れた末の妹が母を引き取ることになる。

それは母を看取らせて欲しいという妹のたっての願いでもあったのだが、いざ母がいなくなると、母においていかれたようで、作家は無性に寂しく、老人性鬱症に悩まされてしまう。

冒頭でそういうあれこれが語られて、70歳を超えた男性が抱くには、あまりに強すぎるように思われる母への思慕と執着に、読者は少し引き気味になる。
あるいはもしかすると、歳を重ねたからこそ、ますます強くなっているのかもしれないが。

けれども、書き残しておこうと母からあれこれを聞き出して、物語を紡ぎ始めるあたりからぐっと引きつけられていく。

チョモンは島の子には珍しいほど色白の美しい娘で、容姿だけでなく頭も良く、海に出れば漁の腕も抜群だった。
“わが家の一等賞”、父親はよく娘のことをそう呼んで自慢した。
チョモンもそれが誇らしく、父親を喜ばせたい、褒められたいその一心で、さらに懸命に働いた。

母親はこの子は「金持ちの家に嫁に行って、将来は大人物になる子を産んで暮らす運勢」だという占いを信じていたし、チョモンもそれを知っていた。
勉強したいという気持ちも強く、教会に通って読み書きや計算を習い、さらに養英学校に通うことを夢見て、学費のために漁に励んだ。
念願叶って進学をはたすが、ほどなく既婚者である男先生と恋に落ち、あれやこれやの末に結婚。
日本による植民統治時代、朝鮮戦争のさなか、混乱と困窮の時代に青春期を過ごし、結婚し、11人の子をもうけるも、授乳期に2人を亡くし、52歳になった歳に夫と死別する。
そんなチョモンの2番目の息子が、彼女が人前でも“わが家の英雄”といってはばからない作家だ。

青春時代、新婚生活を経て、やがて母になる。
母の物語はそこから、作家の人生とも大きく重なり合う。
これが自伝的小説とされるゆえんでもある。

父親の反対を押し切って、大学進学、さらには文学への道を後押ししてくれた母。
母方の血が濃いと言われ続けた自分。

一昔前の大家族にあっては、兄や姉が、下の弟妹を援助することは少なくなかっただろうが、それにしてもこの母がこの息子に求めるものは、弟や妹の衣食住や進学や結婚の世話にとどまらず、あまりにも大きい。
その期待に応える息子も息子だ。

家業を継いでその経営に行き詰まった弟が泣きつく間もなく、母は作家に援助を求める。
なにもかも手厚く手当をされてしまえば、弟が自覚や責任を持てなくなるのもやむを得なかったか。
自暴自棄になって体を壊し早死にした弟が残した家族の面倒も、作家がみようという。

軍隊にいるはずの別の弟が刑務所に収監されたと知るや、金を工面し遠路駆けつけて、大枚はたいて弁護士を頼む。

画家である末の妹の生活は立ちゆくようにアパートを買ってやる。

そればかりかいつまでも間借り暮らしをしている兄一家に、家一軒用立てることまでする。

これが長男なら、家父長制の下に甘んじてということもあろうが、作家は次男だ。
もちろん作家の成功がそれだけ大きなものだったのかもしれないが、あるいはともすればその他大勢の一人となってしまいがちな次男だからこそ、作家はなおさら母の期待に応えたいと強く願ったのかもしれないと、長女への期待と甘え上手の末っ子の間に挟まれて育った二番目の娘である読者は、胸に小さな痛みを感じるのだった。