かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『スモモの木の啓示』

 

ビーターによると、母さんは一九八八年八月十八日午後二時三十五分ちょうどに、五十三軒から成る村を見下ろす丘にあるいちばん背の高いスモモの木の上で啓示を受けた。それは日々、鍋やフライパンを洗う音が木立まで響き、けだるさを吹き飛ばす時間だった。まさにそれと同じ瞬間、ソフラーブは目隠しをされ、後ろ手に縛られたまま絞首刑になった。裁判は行われないままの処刑だ。翌朝、数百人の他の政治犯とともに、テヘランの南にある沙漠に掘られた細長い穴に集団埋葬されることになるとは、本人も思っていなかった。
物語はこんな書き出しではじまる。

ああなるほど、啓示を受けたのは母親だ。
離れていても、政治犯として捕まっていた息子が殺されたことがわかった、という事なんだろう。
語り手もきっと彼女の子どもだ、と読者は合点する。

読み進めていると一家は、両親と長男のソフラーブ、長女のビーターに、語り手である末娘十三歳のバハールの五人家族だということがわかる。

イラン・イスラム革命のさなか、テヘランの家を追われた一家は、ゾロアスター教の遺跡が残るラーザーンという田舎の村に移り住む。
けれどもその地においても、じわじわと追い詰められていくのだった。


こんな風に、あらすじを紹介しても、この物語の魅力は四分の一も伝わらない。
とにかくこれは、お勧めだから、是非とも読んでみて欲しい!
そう繰り返すほかないような気がしながら、もう少し説明を試みる。

まずは、読み始めてすぐに感じる違和感。
これは語り手の少女の身の上を知ることによってまもなく解消されるはず。

だがそれと同時に、生者と死者、幽鬼(ジン)と民兵(バスィージ)、人魚とスマートフォン、ありとあらゆるものの境界があやふやになり、いつの間にか、時間も空間も夢も現実もない交ぜとなった、くらくらするような迷宮に足を踏み入れていたことに気づくのだ。


そうこれは、厳しい社会背景に、自然や伝承、夢やはかない希望が混ぜ込まれたマジック・リアリズムの世界。

ガルシア・マルケスの『百年の孤独』の迷宮や『千一夜物語』の不思議な世界を思い起こさせるだけでなく、厳しい社会の現実から目をそらすことをも許さないこの物語は、“The Enlightenment of the Greengage Tree”(2020)の全訳だ。
イラン出身の作家が亡命先のオースラトリアでペルシア語で執筆した作品ではあるが、本書は英語版からの翻訳だという。
訳者あとがきによれば、今回底本とした英語版は、二〇二〇年に国際ブッカー賞と全米図書賞の最終候補に残ったにもかかわらず、英訳者は「安全上の理由および本人からの要請によって匿名」とされているのだという。

そう聞けば、一九九一年にサルマン・ラシュディの『悪魔の詩』を訳した五十嵐一氏が何者かに殺害された未解決事件を思い出さずにはいられない。

執筆、あるいは翻訳に、文字通り命をかけなければならない現実があることを、改めてつきつけられた1冊でもあった。