かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『アイギ詩集』

 

 

 

ゲンナジイ・アイギは、疑いもなく、現代ロシア語詩の頂点の一つをなす詩人である。などと言えば、「日本ではまだ無名の、しかもロシア人でもないこの《辺境》出身者がどうしてまた…」と、訝しく思う向きもいるだろう。


本書が刊行された1997年、詩集に別刷り冊子の形で添えられた沼野充義氏の解説は、こんな一文で始まっている。
当時はまだ存命中だったアイギが欧米で注目されている詩人であることや、何度もノーベル賞候補に上がったこと、ロシア文学界での立ち位置なども紹介されていて、なかなかに興味深い。

とはいえ、私がこの詩人に興味をもったのは、そうした詩人としての評価ではなく、先日読んだ『シェニヤル村の子どもたち』の著者エヴァ・リーシナの兄であり、当然のことながら、あの破天荒なアルシュークのモデルであると知ったからだ。

森の空き地のようだったのですその国は
世界の森の空き地のようで
その値には白樺-花々があった
こころ-子供らもまた

やがてあの白樺-花々はこの世の風に煽られどんなにか吹き払われたことだろう

「おお、そうとも:生郷(ロージナ)」より


所々にその片鱗を見つけて喜び、気に入ったいくつかのフレーズを抜き書きしてノートに記す。


さて朝方からこの訪問客
この敏捷で大人びたちびっこ
シジュウカラ--《「宇宙」-児童-劇場》に在籍中
  「閃き-シジュウカラ:手紙に代えて」より



ひとはできるかぎり簡潔に世間の人々と語る。
他人と差し向かいでなら、ひとはもっと複雑に語る。
そしてとことん複雑なのは---自分自身と語り合うとき。
 「壊れたフルートへ迷い込むのは」より



そしてまた、アイギの詩才に大いに注目し、チュヴァシ語ではなくロシア語で書くように強く勧めたという パステルナークを偲んだレクイエムを声に出して読んでみる。

正直なところ詩集として堪能するには、読解力が及ばなかった。
それでも、心地よい時間を過ごせた気はしている。