かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『帰りたい』

 

このままだと、予約した飛行機に乗り遅れるだろうとイスマは思った。
大学を卒業した直ぐ後に母親が亡くなって、自分だけでなく、まだ12歳だった双子の妹弟の生活も支えなければならなかった。
ようやく二人が手を離れ、研究生活に戻ることができる。
そのための渡米だったが、空港での取り調べは執拗だった。
もちろん調べられることは分かっていた。
だからこそ何か言われたり聞かれたりしないよう、コーランも家族写真も、研究に関する資料でさえも荷物には入れず、出発時刻の3時間前に空港に来たというのに。
妹のアーニカを相手に、何度も取り調べの模擬練習までしたというのに。


こんな場面から始まる物語は、英米各紙で「ブック・オブ・ザ・イヤー」に輝き、BBCが選ぶ「わたしたちの世界をつくった小説ベスト100」(過去300年に書かれた英語の小説が対象)の政治・権力・抗議活動部門で10作品に選ばれたという話題作。


イスマ、アニーカ、パーヴェイズという、ロンドンで暮らすムスリムの3人きょうだいと、パキスタン系ルーツを持つ英国国会議員カラマット・ローンとその息子エイモン。
登場人物それぞれの視点で描かれる5章立ての構成のトップバッターは、若くして家長の役目を担い、常に苦労を肩に背負っている生真面目な女性イスマ。
その彼女がこともあろうに、念願叶って研究を再開したマサチューセッツで、偶然出会ったエイモンに惹かれてしまう。
あの男の息子に思いを寄せるなど、とんでもないことだと、分かっていたはずなのに。


続く2章は、エイモンの章。
1章では、裕福な家庭で育った鼻持ちならない甘ちゃん青年そのものという印象だった彼が、この章で少し違って見えてくる。
と同時に、ロンドンに帰ったエイモンに急接近するイスマの妹アニーカへの不信と嫌悪が頭をもたげる。

3章はこれまであまり語られてこなかったきょうだいの末っ子パーヴェイズの物語。
パキスタンの親戚に会いにいくと嘘をつき、旅に出た彼は、シリアのラッカでISの活動に身を投じていたのだった。

なんとしてでもパーヴェイズを救い出そうとする双子の姉アニーカ。
パーヴェイズも心配だが、アニーカのことも護りたいイスマ。
あれこれと葛藤しながらもパーヴェイズ救出に動くエイモン。

そして、アジアとムスリムというマイノリティーのルーツを持つが故のあれこれを乗り越えて、いまや内務大臣となったエイモンの父カラマットの苦悩と決断。

ヒースロー空港で始まった物語の舞台は、マサチューセッツ、ロンドン、ラッカ、イスタンブール、カラチへと移りゆき、思いも寄らない結末へとたどり着く。

家族とは、愛とは、宗教とは、国籍とは、法律とは、正義とは……
その意味、そのあり方、そのあやうさについて、そしてまた、生きづらい社会の中で、生きていくということについて、あれこれと考えずにはいられない。
ものすごく衝撃的な本だった。