かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『土台穴』

 

アンドレイ・プラトーノフは1899年生まれのロシアの作家。
10代前半から詩作をはじめるも、家計のために鉄道技師となる。
20代後半に本格的な執筆活動を始めたが、ソ連政権下では発表の機会が厳しく制限されていたため、その作品が公開されるようになったのは1986年以降のことだ。
ペレストロイカ期に復権した作家は、“20世紀のドストエフスキー”とも評されるようになる。
プラトーノフの代表作がこの『土台穴』と、この度ついに翻訳刊行された『チェヴェングール』だ。
どちらも評判は高いがその難解さゆえ“翻訳不可能”といわれてきた作品で、比較的短い『土台穴』の方は1997年に、後に『カラマーゾフの兄弟』の翻訳で一躍脚光を浴びることになる亀山郁夫氏の手によって翻訳された。それが本書である。

この作品には「難解」と「陰惨」と言う言葉がよく似合う。
「陰惨」であるにもかかわらず、そしてまた物語の筋がよく飲み込めないのにもかかわらず、やたらと鮮明に視覚に訴えてくるので、読んでいると自分の中にある何かがごっそり削られていくような気がしてしまう。
そのくせ、なぜだか妙に目をそらせないのだ。


私的生活三〇周年を迎えたその日、ヴォーシェフはそれまで彼が生活の資を得ていた小さな機械工場を解雇された。
物語は、体力のなさと思考癖が原因で解雇された男が、あれこれと考えを巡らすところから始まっていく。

自分が世界に役立っているのか、それとも事はすべて自分なしにうまくおさまるのか、分からないでいた。(p6)

考えごとをなくしたら、人間なんて生きていたってむだなんです (p8)

僕は蚊にでも生まれたほうがよかったんだ。蚊の運命はつかのまだから(p61)

やがてヴォーシェフは、“永遠に快適な生活を約束する”共同住宅の建設現場へと流れ着く。
とはいえそこは、永遠に終わることがなさそうな建設現場で、働いているのは、貧困にあえぎながら肉体労働に明け暮れる労働者たち。

そこからさらに、土地の改良、農地の集団化、富農の撲滅などのスローガンのもとに、農村地帯を襲う恐ろしい現実が……。

それって、悪い人はみんな殺さなければいけない、ってことよね。だっていい人がとっても足りないから(p101)
一人の少女の率直な言葉が頭の中で何度もこだまする。

金持ちの特権階級を象徴しているような少女の母親は身ぐるみはがされて死んでいき、新しい時代の申し子のような身寄りの無い少女は、労働者たちの間で宝物のように大切にされることに。
だがその少女のたどる運命はというと……。

この小説が長い間日の目を見ることがなかったことに納得すると同時に、この作品が世の中に出るまでに費やされた長い年月、多くの人が忍んだであろう苦労について、思いをはせずにはいられない、そんな作品でもある。