かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『目で見ることばで話をさせて』

 

無音。耳が聞こえない人のことをよく知らない、耳が聞こえる人は、そう思うにちがいない。わたしたちの生活は静寂に包まれているって。でも、ちがう。気持ちも心も元気で楽しいときに、わくわくしながら前を向いていると、ちっとも静かなに感じない。楽しいとき、わたしの心はハチのようにブンブンにぎやかだ。つらいときだけは、なにも感じず悲しみでいっぱいだから何の音もしなくなる。ちょうど今みたいに、母さんとふたりきりで家にいるときは。


主人公は11歳の少女メアリー。
彼女は耳が聞こえないが、そのことを特に苦にしている様子はない。
苦しんでいるのは別のこと。
彼女の目の前で、兄のジョージが事故で死んでしまって以来、信仰について、母や身近なあの人この人について、いろんなものや人の見え方が変わってきてしまったのだ。

元々彼女は結構おしゃべりだ。
家族とも友達とも、近所の人たちとも、手話を使って話す。

相手が手話を知らなかったら……。
そんな心配は無用だ。
メアリーの住むマーサズ・ヴィンヤード島では、耳が聞こえない人も聞こえる人も誰もが手話を話すのだから。

メアリーのお父さんも、親友のナンシーの両親も耳が聞こえない。
ナンシーには音楽の才能があるが、ナンシーのお父さんは、ナンシーが耳の聞こえない両親の前でリコーダーを吹くのは失礼だっておこるのだという。
メアリーなら、リコーダーを吹くナンシーをながめながら、自分なりの方法で音楽を体験することができるのに。

そんなメアリーが得意なことは物語を紡ぐこと。

でも、ある日、島にやってきた一人の若い科学者が、メアリーの世界を一変させてしまう。

あの出来事以来、それまで書いてきた物語はすっかり色あせてしまった。
もっと大切なテーマをみつけて、書かなければいけないという気がするのだ。

これはそんなメアリーが実際に体験した出来事を綴った物語……という設定の“歴史フィクション”だ。

実際、1640年~1800年代後半まで、マーサズ・ヴィンヤード島のチルマークでは遺伝性難聴が一般的で、一時期は25人に1人に、さらに小さな地域に限れば4人に1人に、生まれつきの聴覚障害があったのだという。

そんな環境で育ったメアリーが突然、手話が通じず、聞こえない彼女を偏見と蔑みで“劣っている者”と見なすような社会に放り出されたら…。


実のところ読み始める前は、手話を母語とする少女の心温まる成長譚なのだろうと思い込んでいた。
その予想は全くの的外れというわけではなかったのだが、読んでみるとこれが、スリルもサスペンスもたっぷりのなかなかハードな冒険譚で、いろんな意味で盛りだくさん!?

聞こえない者に対する偏見を持たない島の人たちの多くが、先住民族や黒人に対しては根強い偏見をもっていることをもするどく描き出していて、メアリーがそのことに疑問や憤りを感じている点も読み逃すことができない。

こうした状況を浮き彫りにすることで、“障害は人ではなく「社会の側」にある”というところまで踏み込んでいく下地となりうるか。

YA小説の奥は深い。本当に深い。


実はこの本を読んでいる最中にちょうど、“道立のろう学校に通う児童が、母語にあたる日本手話で学ぶことができず教育を受ける権利を侵害されたとして、北海道に損害賠償を求める訴えを起こした。”というニュースを目にした。

“手話という母語で教育を受ける権利”
訳者あとがきで触れられている、続編の物語に通じるものがありそうで、そちらの翻訳刊行も待ち遠しい。