かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『椿姫』

 

津村記久子さんの『やりなおし世界文学』をきっかけにはじめて『椿姫』を読んだ。  

 

 

・舞台がパリであること
・「椿姫」が高級娼婦であること
・決して金持ちとは言えないうぶな青年が恋に落ち「椿姫」に猛アタックすること
・死が二人を分かつという悲恋で終わること

等々、読まなくても大まかなことは知っているつもりだった。

がしかし冒頭、「椿姫」が冒頭既に故人であるとは思ってもみなかった。
そればかりではなく、勝手に思い描いていたものとは違うところがあれこれあって、やっぱり読んでみるものだな…などと、改めて思ったりもした。

物語は、作家(語り手)が競売を知らせるポスターに目を留めるシーンから始まる。
骨董品に興味があるという作家は、早速下見にでかけ、この競売が高級娼婦の遺品を対象にしたものだということを見て取り、故人が「椿姫」ことマルグリット・ゴーティエその人であることを、アパルトマンの守衛から聞き出す。

生前、シャンゼリゼ通りで頻繁に目にした彼女は、ほかの高級娼婦とは全く違う気品をもっており、そのずば抜けた美しさがさらにその気品を際立たせていた。
そうした在りし日の光景を思い浮かべてた作家は、見事な美術品が打ち砕かれてしまったのを惜しむように彼女の死を惜しんだ。

そうして競売に出かけていって、通常の十倍の値段で1冊の本を競り落とす。
その本、『マノン・レスコー』には、マノンをマグリットに贈る。その慎み深さにという短い献辞と共に「アルマン・デュヴェル」と署名が添えられていた。

アルマンによれば、マグリットはマノンよりも、慎み深さが足りないといいたいのか、それともマグリットの慎み深さをたたえているのか?と首をかしげた作家はしかし、しばらく後、アルマン・デュヴェルの訪問をうけ、彼とマグリットの恋の一部始終を聞かせられることになろうとは、そのときは思いも寄らなかったのだった。

作家が聞き取ったという形で語られるこの物語、アルマンのモデルが著者のデュマ・フィス自身で、「椿姫」ことマグリットのモデルも実在したのだという。

青臭い青年が高級娼婦に夢中になる話は、今では特にめずらしくもないのだろうが、この物語が書かれたころは、実在の人物たちがモデルということもあって、とても話題になったらしい。
その後も、オペラに芝居に映画にと様々な形で親しまれてきたのだから、やっぱり名作なのだろう。

だがしかし、死に際に会えなかった想い人の死を受け入れられずに、墓を掘り返して、せめてもう一度、ひとめだけでも…というほどのアルマンの執着はやっぱり怖い。
美しい人がはかなく逝ったというのなら、せめて椿の花のように、散ってなお美しい原型をとどめたままに記憶しておけばいいものを。

仕事もせずに親の金で暮らす“高等遊民”でありながら、恋におぼれて周りを振り回すこの若者には、どうにも同情する気になれない。

それでも審判の日マグリットが神の前にたったとき、アルマンの父や妹を救ったことが善行として認められるというなら、それはそれでよかったのかもと思ったりもする。

それにしても、椿姫といい、マノン・レスコーといい、「運命の女」といわれる女の多くは、「運命の男」に出会ってしまったが為に、とんでもない人生を送らざるを得なくなった「不運な女」なのではないかという気がしてしまうのだった。