かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『その丘が黄金ならば』

 

中国系アメリカ人作家のデビュー長篇だということは知っていたが、
タイトルからその内容をうかがい知ることはできなかった。
手に取ったのは、訳者が藤井光さんだったから。
完全に“訳者読み”だ。

爸(ちち)が夜に死んでしまい、二人は一ドル銀貨二枚を探すことになる。
物語はこんな一文で始まり、
読み始めてすぐにこれは中国系移民の話なのだと合点する。

舞台はゴールドラッシュが過ぎ去ったアメリカ。
炭坑の町で暮らす11歳のサムと12歳のルーシーは、
明け方に爸(ちち)が亡くなっていることに気づく。
数年前に媽(はは)を失っている二人にはもう、
互いしか残されていなかった。

埋葬の儀式に必要な銀貨を手に入れるために、
それぞれが精一杯背伸びして策を弄するが、
うまく行かないばかりか、町を逃げ出さなくてはならなくなる。

こうして二人は、
父親の亡骸を葬るための旅にでるのだ。

そうした顛末まで読んだとき、読者は(おや?誤植か?)という文字を目にする。
「妹」
この一文字が間違いなどではなく、
紛れもない真実なのだと気づいたとき、
読者は頁の間から突き出された思いのほか力強い腕にがっしりと捕まれて
ものすごい勢いで物語の中に引きずり込まれる。

媽譲りの賢さ。
向学心旺盛で、現実的。
他人の顔色を読みながら、相手と上手くやっていこうとするルーシーと、
爸譲りの奔放さと、あくまで自分を貫こうとするサム。

なにがあれば家は家になるのだろうか。

それぞれがそれぞれの居場所を求めたつらく苦しい旅路の果てに、
二人がたどり着く場所は……。

現実と幻想がまざりあいながら展開する物語は、
旅の物話であると同時に、家族の物語であり、
開拓や移民の歴史ともに、人種差別やジェンダー問題をつきつけもする。

時々挟み込まれる中国語の響きに
いつの間にか息を凝らしていたことに気づかされて、
思わず大きくため息をつく。

またすごいものを読んでしまった。