かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『願望機』

 

A&B・ストルガツキイ(アベエスィ)は、アルカージイ・ストルガツキイ(1925年8月28日 - 1991年10月12日)とボリス・ストルガツキイ(1933年4月14日 - 2012年11月19日)という兄弟コンビ。
今はどうか知らないが、少なくともひと昔前はロシアでも人気のあるSF作家だった。

兄のアルカージイは英語と日本語の通訳者を経た後日本文学研究者として、弟のボリスは天文学者兼コンピューター技師としても働いていたのだとか。

小説を元にした、映画の脚本なども手がけていて、そんな彼らが書いたシナリオ二篇が収録されている。

表題作『願望機』は、アベエスィの作品Пикник на обочине(英訳版 Roadside Picnic/日本語版ストーカー)を元に作家達自らが脚本化した作品だ。

 われわれは光栄にも、映画『ストーカー』の政策に参加することができた。アンドレイ・アルセーニエヴィチ・タルコフスキイ監督は、当初、われわれの作品『路傍のピクニック』(註 訳題は『ストーカー』)の第四章を映画の土台にしようとした。ところが仕事を進めていくうちに(ほぼ三年にわたって)、この映画は原作とはなんの関係もない、とわれわれは考えるようになった。そして、われわれが書き終えたシナリオの最終案には、もはや<ストーカー>と<ゾーン>という用語、願望がかなえられる進歩的な場所以外にはなにも残っていなかった。


A・ストルガツキイによる『願望機』のまえがきはこんな風に始まり、次の言葉で締めくくられる。

 ここで読者にご覧に入れる作品は、何本も書き改めた初期のころのシナリオの中の一本であり、これには、その後現れる映画『ストーカー』の片鱗がみられる。ありがたいことに、これを発表しないかと勧められた。たぶん、このシナリオに従って撮影された場合の映画にも生存権があると思われたからだろう。




そんな訳で『願望機』。
ト書きと台詞からなるシナリオ形式の作品だ。

作者の前書きにもあるように原作にあたる『ストーカー』の最終章にスポットをあてて構成されたこの物語の登場人物は、<ストーカー(ガイド)><作家><教授><ストーカーの妻>の四人。

 

 


『ストーカー』で活躍するレッドはそのままの形では登場しないが、『願望機』の<ストーカー>役にはレッドと重なる部分が多い。
(ちなみに、私は観ていないのだが、映画では<ストーカー>は気弱なインテリという役どころになるそうなので、かなりイメージが違いそうだ。)

ストーカーは妻の制止を振り切って、作家と教授の案内役としてゾーンに向かう。
警備の目をかいくぐって命がけでゾーンに出向いた理由は、創作のためだったり、研究のため、だったり、金のためだったりする……というのは、建前にすぎない。

目的は願望機。
たどり着ければ、願いがかなうという。

かつてそこにたどり着いた<ヤマアラシ>は、もどってくると二日で大金持ちになった。けれどもその二週間後、首を吊って死んでしまったというのだ。
彼が本当に願っていたことはいったいなんだったのか、それを知る者はいない。

人は皆、頭でなにかを望んでいても、脊髄は別のことを望んでいて、心は更に他のことを望んでいる……そういう複雑な存在なのだ。

だがしかし、だとしたら、その場所にたどり着いたとき、三人が願うことはいったい……。

これはこわい、自分と向き合うことを余儀なくされる、かなりこわい物語だ。

おまけに小道具として<原爆>までが登場する。

これは1970年代の作品で、チェルノブイリの事故以前に書かれた物語ではあるが、来訪者がやってきた後に残された<ゾーン>は、放射能汚染から着想を得ているのかもしれない。

ラストはこれ、すごくアベエスィらしい終わり方という気もするのだけれど、映画ではきっと違うんだろうなあ、とも。

同時収録の『スプーン五杯の霊薬』も、これシナリオ形式で書かれている物語。
人間に不死を与えてくれる不思議な霊薬が、五人分だけあったなら……というお話。
皮肉もユーモアもたっぷりで、なかなか楽しめる作品だ。