かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『パリの砂漠、東京の蜃気楼』

 

実を言うと金原作品を読むのはこれが初めてだ。
読んだこともないのになぜかこの作家には、自分を痛めつけ、血を流しながら書いているようなイメージを持っていて、年若い女性のそんな痛々しさを直視する勇気がなかったのだ。

にもかかわらず、この本を手にしたのは、WEB連載のエッセイをまとめたものでありながら、まるで上質の小説のように読めるという感想を目にしたことと、自分同様作家もまた、歳を重ねているのだという当たり前のことに気がついたからでもあった。

タイトル通り、前半は移住先のパリの暮らしの中で、後半は日本に帰国した後に書かれたエッセイが、それぞれ12篇ずつ収録されているのだが、一つ一つのエッセイの読み応えが半端ではない。

それぞれが短編小説のようにも読め、続けて読めば、長編小説のようにも読める。

夫や子どもたちや母親といった家族の話も出てはくるが、読み手に他人の生活をのぞき見るような後ろめたさを感じさせることなく、文字通り“物を書くことで生きている”その生き様を惜しみなく見せつける。

「あなたはいつも本当に言いたいことを言わない」
「私が?日本人の中では随分開いてる方だし裏表もない方だと思うけど」
何言ってるの?とアンナは肩をすくめて呆れたような表情を浮かべる。
「誰か本音を話せる人がいるの?」
「大丈夫。私は小説に本音を書いてる」
「ずっとそうやって生きていくの?」
「そうやって死んでいく」 (p86)



彼女が唇にできた口内炎に触れると、私の唇にもまた新しく痛々しいものがプチッと現れるような、そんなヒリヒリした感覚。
これは危ない、危険だと身構える読者の心を易々と捕まえてしまうこの筆力。

 なんか悲しいんだよなあ。長女と次女と私の三人で歩いていると、唐突に長女が言った。さっきまで二人でふざけてゲラゲラ笑っていたのに、どことなく憂鬱そうな表情を浮かべている。
「私もちょっと悲しいんだよ」
 私がそう言うと、「ほんとに?」と長女が驚きの表情を浮かべ、「わかる」と次女が同調した。
「なんか世界の終わりとか考えちゃうよね。私世界の終わりのことを考えるといつも頭が痛くなるんだ」
 七歳の次女の意外な言葉に、私の悲しみはそういう悲しみじゃない、と思いつつ口を挟まずにいると、二人は世界の終わりがどういう形で訪れるかという話を始めた。(p150) 



彼女の言葉にいちいち頷いたりはしない。
共感できることもあれば、賛同できないと思う部分もある。
でもそんなことはどうでもいいのだ。

読みながら、この素晴らしい書き手と同時代に生きていることが、なんだか妙にうれしくなった、ただそれだけで。