かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『魔女だったかもしれないわたし』

 

舞台はスコットランドの小さな村ジュニパー。
この村に両親と二人の姉と共に暮らす11歳の少女アディは、学校の授業で魔女狩りの歴史を知る。
この村の森でもかつて“魔女”だとされて、処刑された人たちがいたというのだ。

その事実に衝撃を受けたアディは、この過ちの歴史を忘れぬよう村に慰霊碑を作ることを思い立つ。

アディがなぜ、それほどまでに魔女狩りの歴史にこだわるのか。

それは、「人とちがう」というだけで魔女の烙印を押され命を奪われた人々の中に、自分のような人が含まれていたのではないだろうか?と考えたからだ。

アディは自閉スペクトラム
相手の表情を読んだり、相手の気持ちを理解したりするのが苦手で、人から言われたことをなんでも真に受けてしまったり、感情をうまく表情に出せなくて、人に誤解を与えることもある。
スキンシップや、不意打ち、字をきれいに書くことも苦手だ。
でも、本を読むことも物語を書くことも好きだし、興味を持ったことにはとても詳しくなれもする。

もしあの時代に生まれていたならば、「わたしも魔女にされていたかもしれない」。

同じ自閉の姉キーディの理解と支えもあって、自閉は自分の一部であり、恥じることではないと考えているアディではあるが、そうであるからこそ、みんなの理解を得て、魔女の慰霊碑を建てたいと考えたのだった。

村の委員会に提案した慰霊碑の建立は、あっさりと却下されるが、人とのちがいを肯定的に捉える転校生オードリーの協力もあって、独自にチラシを作り、募金活動を始め、二度、三度と、委員会にかけあうアディ。

だが、その一方で、アディに対する担任の教師や友だちからの偏見といじめはエスカレートしていくのだった。

魔女狩り」という史実に絡めながら、脳の多様性を尊重するいわゆるニューロダイバーシティの見地から自閉の少女の葛藤と成長を描いたこの作品。

タイトルに惹かれて軽い気持ちで読み始めた本だったが、読み終えてみれば、ものすごく中身の詰まった読み応えのある物語で、これはもう、多くの人にぜひにとお勧めしたいところ。

だがしかし、あえてひとこと添えるなら、人前で読むことだけはお勧めできない。

読みながら、何度も何度も、湧き上がってくる激しい感情をおさえることができなかったから。

そしてその感情は、アディやキーディに次々降りかかる理不尽なあれこれだけでなく、自分もまた「魔女だったかもしれない」と思う一方で、自分もまた積極的に加担しないまでも、傍観したり目をそらしたりすることで魔女狩りに加担していたかもしれないと思う気持ちと無縁ではなかった。