かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『虎のたましい人魚の涙』

 

2020年8月号~2022年6月号の『群像』に連載されていたエッセイ「日日是目分量」に書き下ろし1篇をプラスしたエッセイ集。

くどうれいんさんの書くものはあいかわらず面白くて、読んでいるとめちゃくちゃお腹がすいて、思わず笑ってしまうのに、気がつくと目元がじわっと濡れていたりする。

親子ほど年の離れた若い作家さんなのに、読むたびいつも、れいんさんって本当にいいよね!って思うのだ。
もうこれは、惚れ込んでいると言って良いと思う。

ここ数年、芥川賞をはじめ、様々な賞にノミネートされたりしたこともあって、仕事と執筆とあれやこれやとでいっぱいいっぱいになったれいんさんは、しばしばぽろぽろと涙をながす。
そうしてひとしきり泣いたあとは、やっぱり食べる。


この本を読んでいたら、無性にドリアが食べたくなった。
そういえば私、20代の頃はよく、ドリアを食べていた気がする。

そんなことを思い出しながら、夜中にひとしきりドリアへの熱い思いを語っていたら、「そんなに食べたいなら、作ればいいじゃないか」と家人がのたまう。

(そうね。ホワイトソースを作って……)
いやいや違うのだ。
そういうんじゃない。
自分が作ったのではないドリアが食べたいのだ。
ふうふう言いながら。
あつあつのやつを。

でも私、ここ数年、外食は年に数回するかしないかというぐらいだし、そんな機会は当分なさそう…と思ったら、チャンスは意外と早くめぐってきた。

秋を探しにドライブに行った先で、前にも一度入ったことのある木立に囲まれたカフェに立ち寄り、メニューをみたら、あったのだ。ドリアが。
だがしかし……。

本当に数日前はものすごく食べたかったのだ。

でも、こんな明るく燦々と日がさすカフェテリアで、汗だくになりながら食べたいわけではなかった気がする。
それに思い浮かべていたのは「カニドリア」じゃなかった気がする。
そしてなにより…。
ドリアの重さに私の老化した胃袋は、耐えられないような気がする……。
そんなこんなで、結局は別のものを注文してしまったのだった。

それでもやっぱり、これからの人生「ドリア」のことを考えるとき、私はきっと同時に、れいんさんとれいんさんの大粒の涙を思い出すにちがいない。

ちょうど、カツ丼を見るたびに吉本ばななさんの『キッチン』を思い出すように。

そしてたぶん、これから先、新しい作品を読むたびに、れいんさんを思い出すアイテムが増えていくような予感がしている。