かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『小さなことばたちの辞書』

 

オックスフォード、サニーサイド、スクリプトリウム(写字室)。
マレー博士を中心に辞典の編纂が行われているその部屋で、エズメは育った。
面倒を見てくれる母親がおらず、父親がマレー博士の信頼厚い優秀な辞書編集者だったため、幼いエズメは特別に、作業台の下の空間で、その部屋で働く人たちの靴と靴下を眺めながら過ごすことが許されていたのだった。

机の下に潜り込んでいないときのエズメは、大抵、パパの膝の上か、マレー家の女中リジーの世話になっていた。

そういう環境で育ったから、エズメはことばとその定義に敏感だった。
やがて彼女は気づく。

誰かに定義されることを待つまでもなく、ことばは常にある。
けれども、それは時々、ないものとされてしまうことがあるのだと…。

当時、辞典の編纂は男性中心の事業だった。
編集主幹は全員男性で、助手の大部分も、協力者の大部分も男性、ことばの定義の根拠として使用される文献や新聞記事もその書き手のほとんどは男性で、出版費用を捻出する財布のひもを握っているのもやはり男たちだ。

女性のスタッフや協力者もいたが、出版記念パーティーにすら参加できず、かろうじて観覧席から式典を眺める“栄誉”が与えられたという。

普通選挙権”=“人種、収入あるいは財産の有無を問わず全ての成人”と定義されたこの言葉の中に、女性は入っていなかった。
そんな時代だった。

“英語のすべてを記録する”事業が、当初、一定階層以上の白人男性の意見を反映したものであったことは、ある意味当然のことではあった。

わたしたちを定義するために使われることばは、わたしたちが他者との関係で果たす役割を説明していることがほとんどだ。一見害のなさそうなことば---“乙女”“妻”“母”ですら、わたしたちが処女かそうでないかを世間に向かって公言している。“乙女”と対になることばはなんだろう?わたしには思いつけなかった。“夫人”に、“淫売”に、“近所迷惑なガミガミ女(コモン・スコールド)”に当たる男性を指すことばは? (p336)



あらゆる場面でいつもことばとそのことばの定義について考え、カードにかきとめていくエズメ。

確かにあるはずのことば、巷でよく使われることば、けれども辞典には載らないことば……エズメの成長と共にエズメが集めたことばが、少しずつ増えていく。

“英語のすべてを記録する”
オックスフォード英語大辞典(OED)の編纂事業という歴史的な事実を軸に、辞典に採録されなかったことばを拾い集め記録したという、架空の女性の一生を描いた物語。
平行して語られるのは、女性の参政権、女性の社会的身分、第一次世界大戦

本編約500ページに著者のあとがき、訳者のあとがき、どこも読み飛ばすことができないぎっしりと中身の詰まった1冊。

出だしこそ、幼いエズメのあれこれにイライラしたりもしたけれど、ページをめくる毎にどんどんと、自分が物語とことばたちに絡め取られていくのがわかる。

はじめにことばがあった。
ことばはいつも彼女とともにあった。
そしてまた間違いなく私やあなたとともにも。