かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『ザ・ナイン ナチスと闘った9人の女たち』

 

1943年春、エレーヌはフランス国内軍とイギリスとの連絡役を担う航空作戦局(BOA)でレジスタンス活動をしていた。
活動を始めた当時彼女は23歳で、物理学と数学を学んでいたソルボンヌ大学を休学し、電球製造会社の技術者として責任ある仕事を任されていた。
だがレジスタンス活動がより重要になってきたため、会社を辞め、ファシストとの戦いに専念することに。
彼女の仕事はパラシュートの受け取りに適した場所を見つけることだった。
パラシュートの落下が決まると活動員を集め、受け取り地点で準備をする。
そのうち担当地域で活動する複数のレジスタンスネットワークの連絡係を任されるようになり、現地の生の情報をロンドンとやりとりするため、ラジオで放送されるメッセージを暗号化したり、解読したりもしていたという。

1944年2月、エレーヌはゲシュタポに捕まり、刑務所で拷問を受け、ラーフェンスブリュック強制収容所を経て、ライプツィヒ強制労働収容所に送られた。

まるでフランス版の  『コードネーム・ヴェリティ』『ローズ・アンダーファイア』のようにも思えるが、これはノンフィクション。

58年後、エレーヌ大叔母さんから、1945年4月15日、強制収容所からの移送中に8人の仲間と共に決死の逃亡を試みたという話を聞いた著者が、その経験談をまとめたいとエレーヌにインタビューを申し込む。

もちろん著者は、大叔母が第2次世界大戦中にレジスタンス活動に身を投じ、将校級のレジオンドヌール勲章をはじめ、多くの勲章を授与されていることは知っていたし、エレーヌは一族の誇りでもあったが、戦後多くの家庭がそうだったように、つらい過去には触れない方がいいと、家族はあえてそういったことを話題にしてこなかったのだった。

かくして著者は、エレーヌからの聞き取りに端を発し、当時の資料や、様々な関係者の証言をたどって、エレーヌと行動をともにしたフランス人、オランダ人、スペイン人の8人の仲間の足跡を追い始める。

占領下のフランスで、ひそかに武器を運び、パラシュートで上陸するスパイを受け入れ、ユダヤ人の子どもをかくまり、結果、レジスタンス活動の罪でフランスの警察に逮捕され、ゲシュタポに拷問され、ドイツの収容所に移送された女性たち。
9人の中には既婚者も2人いたが、いずれも30歳未満と若かった。

密告、拷問、行方不明の夫、刑務所での出産……。
愛する夫や生まれたばかりの娘、家族や恋人と引き裂かれた彼女たちだったが、収容所で虐待に耐え、つねに固い友情とユーモアをもち、支え合い励まし合い続けて、生きる希望を失わなかった9人。

これは感動の物語だ。

だが感動だけで終わらせず、読者の目を様々な「真実」に目を向けさせるべく、用意された枝葉が見事に息づいている優れたノンフィクションでもある。

ゲシュタポにパリのレジスタンスネットワークの破壊を依頼され、わずか4か月の間に300人を逮捕した「民間人」のフードリッヒ・ベルガー。
連合軍によるパリ解放時にはイタリアに逃れ、1947年にイギリス人に逮捕されるも逃亡に成功し、1952年の軍事法廷では被告不在のまま死刑判決を受けたこの男は、戦後アメリカの諜報機関に雇われて冷戦時代に活動していたという。

強制収容所の中にも確かに存在したヒエラルキー

命がけでレジスタンス活動に参加していた彼女たちは、女であるというだけで参政権すらもたず、敵はもちろん、共に闘う味方にさえも見下される立ち位置にあったこと。

オランダでは1960年まで既婚女性の就労が法律で禁じられていたこと。

戦後も心の傷に苦しみ続け、それが子どもや孫にも大きな影響をあたえることになったこと。

ただの美談では終わらせないそうした「現実」が、読者に新たな好奇心と問題意識をもたらす。