かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『わたしが先生の「ロリータ」だったころ』

 

この本のことは、発売前から気になってはいたのだけれど
まずはナボコフの『ロリータ』を読んでからだろうという気がしていた。
ナボコフの作品はいくつか読んだことがあり、
それなりに好感を持っていたのだが、
『ロリータ』には食指が動かず読んだことがなかったのだ。

でもこの本の中のアリソンもまた、
『ロリータ』をじっくり読んだのはずっと後のことだったと知って、
思い切ってこちらから読んでみることにしたのだった。

鬱を患い不眠症自傷癖があり、
中学のことから何年もセラピストの診療所を渡り歩き、
あらゆる薬物療法を受けてきたアリソンは、
高校三年(ジュニア)のときには一年間支援スクールに通っていた。
そこでの成績はオールA。
いくつかの選択肢はあったが、
17歳の彼女はハント高校に戻ることにした。
「悲しみと孤独の床から抜けだして普通の人間になりたかった」のだ。

高校に戻ったアリスンは、
文芸創作を担当する教師にその才能を見いだされ、
文章指南役としてニック・ノースという新任の英文学教師を紹介される。
ニックは当時26歳で、その親しみやすさと大人の魅力で、
女生徒たちの憧れの的だった。
そんなニックとの出会いをきっかけに明るさを取り戻し、
学校生活にも自然と溶け込めるようになったアリソンは、
ニックを王子様だと思い込み、彼との秘密の恋愛にのめり込んでいったのだった。

そんなノース先生ことニックの愛読書は、ナボコフの『ロリータ』で
ことあるごとにアリスンと自分のことを『ロリータ』になぞらえる。

ふたりの関係は、アリソンが大学に進学してからも続き、
やがて破局が訪れたあとも、
アリソンはまだ、ニックを慕う気持ちを捨てきれずにいた。
『ロリータ』と真剣に向き合うまでは……。


端から見たら、
身勝手な大人が少女を支配する以外のなにものでもないように思われるこの関係、
だがしかし、タイトルにあるように否定的なコメントから始まっていなかったならば、
あるいは美しくほほえましい回想シーンから始まっていたならば、
またもし語り手がアリソンではなく、ニックだったならば、
読者の受け止めはかわっただろうか。

やがてアリスンは教壇に立つ。
たしかに『ロリータ』は美しい。
でも、同時におぞましくもある。
そのふたつは両立しうるのだと彼女は考える。

彼女は『ロリータ』をとりあげて講義をする。
自分の経験を語ったりはしない。あくまで作品を取り上げる。
けれどもそこには、
教え子たちが自分と同じような苦しみを味わうことがないようにという
願いがこめられている。
そしてもちろん、その願いはこの本にも。


こんな経験は私にはないが、それでも、
愛だと思っていたあれこれが実は身勝手で理不尽な要求に過ぎなかったかもしれないと、
自分や親しい友人たちの若かりしころの恋愛を思い浮かべて思うことはある。
もしかしたら……と心のどこかで思いながらも、それが愛だと思い込まされていた。
同時にそう思い込んだ方が、楽でもあったのだと今なら思う。

相手に振り回され、相手の求めに応じること、
愛に見せかけた支配について、
愛だと思い込んだあれこれについて、
思い巡らさずにはいられない、
そんな胸が痛い作品だった。