かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『許されざる者』

 

国家犯罪捜査局元長官のラーシュ・マッティン・ヨハンソンは、好物のホットドッグを手にしたまま脳塞栓で倒れ、一命はとりとめたものの右半身に麻痺が残ってしまう。

激しい頭痛に悩まされるようにもなり、かつては「角の向こう側が見通せる」といわれたほど、敵も味方も畏れさせた明晰な頭脳の切れ味も今ひとつ。

意気消沈していた彼に主治医がある秘密を打ち明ける。
医師の亡父は牧師で、ある殺人事件の犯人を知っているという女性から懺悔を受けたものの、聖職者の守秘義務ゆえに誰にも口外できず、そのことを悔いながら亡くなったのだというのだ。

それは1985年におきた未解決の暴行殺人事件で、被害者のヤスミンは当時まだ九歳の愛らしい少女だった。
痛ましいその事件は犯人が捕まらないまましばらく前に時効を迎えていたのだった。

興味をひかれたヨハンソンは、思うように動かない身体をソファーに横たえながら、共に引退した元同僚の親友や、現役で働くかつての部下たち、自分の世話を焼く介護士やそれまであまり親しくつきあってこなかった義理の弟まで、適材適所に仕事を割り振り捜査をはじめる。

なにしろこの男、人を見る目があり、人を使うのが非常に上手いのだ。

医師や介護士の忠告を聞かずに食生活も改善しなければ、「捜査」を優先させてリハビリをさぼるこの困った病人は、発作の影響もあるのか以前に増して強情で偏屈になり、周囲を心配させ戸惑わせもするが、とにもかくにも憎めない男なのだ。
(ちなみに好々爺というにはまだ若い。若干67歳である。)

物語は真犯人に向かって一直線に進んでいくにもかかわらず、550ページ越えとかなりボリュームがある。
というのもヨハンソンの鋭い洞察力は、ほんの脇役で登場するだけのあの人この人にも向けられていて、その人の行いや発言を裏付ける背景まで丁寧に語りあげているからだ。

誰も彼もが幼い少女を殺した真犯人を憎まずにはいられない。
ヤスミンの身に起きたことはとても人ごとではなかった。
あるいはその被害者は我が子であったかもしれず、あるいは自分や自分の身近な人であったかもしれない。
大人の身勝手な衝動によって、子どもたちがどれほど多くの危険にさらされているか、どれほど辛い目にあっているかということをあらためて思い知らされるもする。

同時に、事件が既に時効を迎えていることから、人を裁くということ、罪を償わせるということにについても考えざるを得ない。

そしてまた文字通り身を削りながらも真犯人を追い続けるヨハンソンを通して、自分らしく生きるということについても考えずにはいられない。

とても読み応えがあった。
読んで良かったとも思う。
だが面白かったかと聞かれれば、答えに詰まる。
さらっと読み流せずに何度も立ち止らずにはいられなかったために、思っていた以上に時間もかかった。
読みおえた後もまだあれこれと考え続けている。

        (2018年04月24日 本が好き!投稿