そもそも二人を争わしめたのは、いかなる神であったのか。
いきなり、アカイア軍の総帥アガメムノンと勇将アキレウスの激しい口論の場面から始まるこの物語は、ご存じホメロスの大英雄叙事詩『イリアス』。
時は10年にわたるトロイア戦争の末期、囚われてアガメムノンの妾となっていたクリュセイスを解放するよう、その父でアポロンの祭司であるクリュセスが莫大な身代金を差し出して懇願する。
周囲の説得にもかかわらず、アガメムノンはその要求を拒否し、クリュセスはアポロンに「わたくしの流した涙の償いを払わせてやってください」と祈る。
アポロンは、クリュセスの願いを聞き入れ、アカイア勢に悪疫を流行らせる。
アキレウスの介入でクリュセイスは解放されるが、怒り心頭のアガメムノンは仕返しに、アキレウスの愛妾プリセイスを取り上げる。
プライドを傷つけられたアキレウスは、戦線を離脱。
母である女神テティスを通じてゼウスに名誉回復を願い出る。
アキレウスを英雄にするため、ゼウスが描いたシナリオは、激しい攻防の末、劣勢に立ったアカイア勢が、親友の死に打ちひしがれて復讐を誓い戦線に復帰するアキレウスの血まみれの活躍によって勝利する…というものだった。
そうとは知らない人間たちは命をかけて闘って、そんなことだろうと薄々気づいている神々も、それぞれの贔屓や思惑で、敵味方に分かれて表に裏にと戦闘に加わる。
混乱を収めるためにゼウスは神々に戦闘に介入知ることを禁じるが、神々ときたら、ゼウスの目を盗んだり、色仕掛けで惑わしたり、あれやこれやの大騒ぎ。
眼光輝く女神アテネは、オリュンポスの峰を駆け下り、聖なる都イリオスへ向かう。
彼女はもちろん、ダナオイ勢の味方だ。
一方、トロイエ勢の勝利を希うアポロンは、城山からそれを見るや、アテネに会おうと駆け出す。
元々が口承文学というだけあって、訳文の言い回しにも講談調のリズムがあってなかなか楽しい。
「勇者たちの騎士道的な戦いと死を描いた大英雄叙事詩」だというものの、これはやっぱり、神々の勝手な思惑に振り回される人間たちの喜悲劇なのでは…と長いこと思ってきたが、改めて読んでみると、自分たちの身勝手な欲望のために引き起こした戦争と殺戮の責任を神々に押しつける人間の方がよっぽど身勝手なのでは…と思うようになってきた。
ちなみにこの岩波文庫版、上巻には訳者解説、下巻には伝ヘロドトス作ホメロス伝も併録されている。