好きになった本は、ふと思い出しては読み返す。読み返すたびに、心に響く部分がまるで違うことがあり、驚いてしまう。
共感ボタンを連打したくなるこの一節に続けて、なぜ読むたびに感じ方が変わるのか、答えは簡単、自分が変わったから
だと東さんはいう。本の中身は変わらないのだから
と。
私は本に線を引いたり付箋をつけたりするのが苦手で、気に入った箇所はノートに書き写すことにしているのだけれど、この本に関しては読み始めてすぐ「これは無理だ」と悟った。
ここもあそこもと書き出していたら、本をまるまる書き写すことになりかねない。
これはもう、2冊買って1冊はメモ用だと思うことにすべきか!?と財布を睨みつけながら真剣に悩む。
短歌を詠み、小説やエッセイを書き、絵も描くという東直子さんは多才な人だ。
この本は東さんが様々な媒体に書いてきたものの中から本の書評を中心にまとめた散文集で、タイトルは東さん自身が読んだ短歌(*文末で紹介)からとったものだという。
文芸誌に掲載されたものや書籍の巻末に収録された解説など、これまでに何度もその著作を目にしてはきたが、こうしてまとまったものを読むには初めてだった。
目の付け所がひと味もふた味も違うエッセイも楽しいが、なんといっても本の話が面白い。
紹介されている本はどれもものすごく魅力的で、『すきまのおともだち』や『赤い長靴』(江國香織)も『コンスエラ 七つの愛の狂気』(ダン・ローズ)も『パレード』(川上弘美)も『千すじの黒髪』(田辺聖子)も……あれもこれも読んでみたくてたまらない。
読んでみたいがもしかして、この東さんの文章の方が面白かったということになりやしないか……と、一抹の不安が心をよぎる。
だがしかし、それもまた一興だと思い直す。
あれやこれやを読んだ後、またこの本に戻って東さんの書いたものを読み返すとき、心に響く部分がどう変わるか、はたまた変わらないか、それもまた楽しみではないか。
永遠に忘れてしまう一日にレモン石鹸泡立てている(東直子『青卵』)
一日が終わり月日が流れて、いろんなことが遠い思い出になっても、どこかでレモン石鹸を見かけたら、私はやっぱりこの本のことを思い出すだろう。
そしてまた、この本の中で紹介されていたあの本この本を手に取ったとき、あるいはこの本に登場するあの人この人を見かけたとき、この本のことを思い出しては再び頁をめくるに違いない。