かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『ヘンリー・ライクロフトの私記』

 

ヘンリー・ライクロフト54歳。
ペン一筋、いつもかつかつの生活をおくってきた彼は、50の坂にさしかかり健康を損ねていたのだが、亡くなった友人がその遺産として、年300ポンドの終身年金を彼に残してくれたため、住み慣れたロンドンを離れ、デヴォン州のエクセターに移り住んでの隠遁生活を送ることが出来るようになった。

妻は既に亡く、一人娘も嫁いでいるので、気ままな一人暮らし。
身の回りの世話は、通いのお手伝いさんに任せることにした。

そんなのどかな生活は、患っていた病気が元で5年ほどしか続かなかったが、その間、書きためていた日記を、遺品を整理していた友人がみつけて、編纂し出版にこぎ着けたというのが、この物語の設定だ。

この作品を執筆したとき、ギッシング自身はまだ40代前半だったというから、ある意味これは、作家の夢見た理想の老後だったのかもしれない。

庭中、鳥の鳴き声が頻である。あたりには鳥の歌があふれているなどと言ったところで、この絶え間なしの地鳴き、囀り、高啼きがどれほど盛んかはとうてい伝わらない。なとといった自然の描写も多く、金の心配もなく、豊かな自然の中でのんびりと暮らす生活に憧れる都会の働き盛りにウケたのもわからなくはないが、田舎で暮らす私としてはむしろ、ところどころに顔を出すシェイクスピアテニスンをひっぱりだす文学論や、出版業界批判の方が興味深かった。

思慮深い統計学者なら、揺るぎなく評価の定まった本を実際に繙く読者のうち、本当に著者を理解しているのは二十人に一人とすら言うことを躊躇うのではないだろうか。 

なるほど、大衆は盛んに本を買う。中には少数ながら、心から本好きで見識のある良心的な読書家がいるのは事実で、それを認めなかったら罰が当たる。千人に一人いるかいないかというその手の読書家に祝福あれだ。

勢力家で抜け目のない商人でもあったディケンズは親しい弁護士の献身で羽ぶりをきかせ、時には出版社以上の利益を攫って多年の不公平を見返した。ならば、シャーロット・ブロンテはどうか。貧苦の生涯は灰色だったではないか。その間、ブロンテの作品から出版社が得た利益の三分の一なりと著者本人に渡っていたら、晩年の暮らしは日射し明るかったろう。

美しい自然描写だけでなく、既に筆を置いたという設定のライクロフトの個人的な日記だからこそ言えるあれこれ、食い扶持の心配なしにのんびり暮らせる金銭的ゆとりに加え、長患いすることなくぽっくりと逝ったことまでもが、世界の文豪たちがこぞってこの作品を愛読した理由かもしれない。