かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『処刑の丘』

 

銃声がヒルダの夢の中に割り込んできた。
彼女ははっと上体を起こし、慌てて息子のベッドを確認するも空だった。
不安に胸を締めつけられて、ドアの側面に寄りかかる。
イスモは何をしているのか、もう幾晩も出歩いていて、銃声は恐れていたことの答えのような気がした。

いや違う。きっとピルトゥの密売人同士の争い違いない。
彼女はそう自分で自分をなだめにかかる。
密造酒は人を狂わせる。

銃声はヒルダに内戦のころのことを思い出させた。
白衛隊は騎馬でやってきて、道々赤衛隊の兵士を大量に撃った。
メテリンマキの丘、黒い岩に囲まれたその場所で彼らが遭遇したのは、赤衛隊の戦列に加わっていたがすでに武器をすてた、ふたりの若い娘。
ヒルダとアウグストの長女テューネは、あの丘でまず銃で撃たれ、銃剣でとどめを刺されて殺されたのだ。

のちに二年の収容所暮らしを経てもどってきた夫アウグストは、外見こそ無傷だったが、精神的には処刑されたも同然だった。
働き者で腕のいい靴職人だった彼は、今では年中頬杖をついて座り込み、酒浸りになっている。

そんな夫と息子と娘を抱えつつ、今や名実ともに一家の大黒柱として汗水垂らして働くヒルダは、公共サウナのマッサージ係。
彼女はその職場で、ロシア人もドイツ人も、赤も白も、犯罪者も警官も、ありとあらゆる人々の汗を流してきたのだった。



物語の舞台は、フィンランドの首都ヘルシンキから北へ100キロ、湖水地方にある町ラハティ。
19世紀初頭から帝政ロシアの大公国だったフィンランドは1917年に独立を宣言したが、ロシアのボリシェビキの支援を受けた赤衛隊と、ドイツの支援を受けた白衛隊とに引き裂かれ内戦が勃発した。
ラハティは、激しい攻防を繰り広げられたことで知られる町だ。
1920年代、白色勢力による新政府になった後も、人々の間に生じた亀裂は埋まらず、多くの人の心に深い爪痕を残していた。

物語はそんな歴史をつぶさにみつめてきたであろうサウナと、そこで働くヒルダが家族とともに暮らす町を舞台に繰り広げられるミステリ。

かつての虐殺の舞台となったあの丘での殺人事件の真相に挑むのは、警察署の中でも異色の経歴をもつ警官ケッキ。
帝政ロシアの大公国時代からいくたびもの粛清の嵐を生き延びてきた彼は、優れた職務遂行能力と協調性を持ってはいたが、正義と真相を追求するにはあまりにも困難な状況においやられている彼の苦悩と、人々の複雑な胸の内が織りなす、この警察小説は、フィンランドの歴史を紐解く物語としても興味深い。

またまたあちこちに派生読書の蔓が伸びていく予感。
もちろん、この物語の続編で、クマのように大柄な警官ケッキとの再会も期待したいところだ。