かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『パレスチナの羊飼い』

 

あたしの名前はアマニ。意味は「願い」。
あたしの願いはひとつだけ。
この地には、あたしの命が息づいている。
いつまでも、この地にいられますように。


アマニの家は、千年以上続く羊飼いの家系だ。
代々一族の男子が羊飼いとなって山で羊を放牧し、家族はふもとの谷間の地で農業を営んできた。山裾の段々畑では、山の上から引いてきた湧き水をつかって乾燥に強いオリーブを、その下では野菜やぶどうを育てている。

アマニは女の子だけれど、小さい頃からシド(アラビア語で「祖父」の意味)の跡を継いで羊飼いになるのが夢だった。
学校に通いはじめる予定だった直前に、父さんや母さんやおじさんの反対をおしきって、羊飼いの見習いになることになったのは、家長であるシドから羊飼いの見習いになることを認められたからだった。

大好きなシドと大事な羊たち、牧羊犬のサヘム、山の頂から見おろす自分たちの家。
アマニには大切なものであると同時にそこにあって当たり前のものだったが、次期家長のハーニーおじさんは「パレスチナ人の羊飼いに未来はない」と言い切るのだった。

なぜって、山の反対側にはすでにイスラエル人の入植地が広がっていて、家の直ぐそばにハイウェイが建設され始めているのだから。

シドから学校では教えてもらうことのできない山の知恵を学びながら、羊とともに生きる術を徐々に身につけ始めたアマニだったが、パレスチナを襲う非情な現実が次第に少女とその家族を追い詰めていく。

羊飼いの少女の視点から、パレスチナ人とイスラエル人の間の紛争と社会の問題を描いた物語。
どんな状況にあっても、大切なもののためにひたむきに生きるようとする少女の奮闘が読者の胸を打つ。

訳者の解説によると作者は、若い頃からイスラエルをたびたび訪れてきたというカナダ人で、パレスチナの人々の話も聞いてみたいと、2005年からパレスチナ人家庭に滞在しながら、約3年をかけてこの作品を書きあげたのだという。
そのため本作も入植者たちの非情な行動に悲鳴をあげ、憤りを抱えながらも、「共生」の道をさぐる姿勢で描かれている。
それゆえ読者によっては生ぬるいと感じる向きもあるかと思うが、少女の未来に期待をもち、かすかであっても希望を感じさせるラストに、YAらしい余韻を感じてホッとしもする。
もっとも私たち大人は、子どもたちに未来を託してばかりではいられないとも思いはするが…。

 

2026年9月の読書

9月の読書メーター
読んだ本の数:7
読んだページ数:2190
ナイス数:229

キッチン常夜灯 満月のキッシュロレーヌ (角川文庫)キッチン常夜灯 満月のキッシュロレーヌ (角川文庫)の感想
角川文庫夏フェア2026の一冊。シリーズ第5弾、今度の主役は新入社員。社会に出たばかりの頃には誰でも経験するようなあれこれに、黒歴史を思い出してどんよりしたりもするけれど、いつもながら美味しそうな料理のオンパレードに元気をもらいもした。それにしても1冊毎に主人公が替わるこのシリーズ、みんながみんななんて人が良いんだろう。 私だったら自分がご褒美に訪れるようなお気に入りお店を、同期はともかく後輩や部下には教えたくないと思うかも……。
読了日:09月28日 著者:長月 天音
転生した大聖女は、聖女であることをひた隠す13【電子書店共通特典SS付】 (アース・スターノベル)転生した大聖女は、聖女であることをひた隠す13【電子書店共通特典SS付】 (アース・スターノベル)の感想
Web版よりこちらの方がほんの少し先行していたことに驚くなど。
読了日:09月20日 著者:十夜
キッチン常夜灯 夜ふけのオニオングラタンスープ (角川文庫)キッチン常夜灯 夜ふけのオニオングラタンスープ (角川文庫)の感想
シリーズ第4弾。今度の主役はベテラン店長。お腹の中からじんわり温かくなる味わい。
読了日:09月19日 著者:長月 天音
だれか、わたしを助けてだれか、わたしを助けての感想
収録作品の数にもよるだろうが私の感覚では1冊の短篇集に2、3作のお気に入り作品があれば面白かったと評するだろうし、4作以上あったなら絶賛するに違いない。だけどこんなのは想定外。まさか12作品全てがこんなにも素晴らしいなんて。貧困、差別、暴力…社会や他者の容赦なさに打ちのめされながら主人公たちがあげるのは、まさに「だれか、わたしを助けて」という表題作に象徴されるような声にもならないような悲鳴。繊細で美しくそのくせとても残酷な物語たちは、1作1作がずっしりと重く、それぞれがまるで長編小説のような読み応え。
読了日:09月14日 著者:エリカ・クラウス,古屋 美登里
ルミッキ2 雪のように白くルミッキ2 雪のように白くの感想
フィンランド語で「白雪姫」を意味する「ルミッキ」という名前の高校生が主役の北欧ミステリーシリーズ第二弾。学校の休みを利用してひとり旅にでたルミッキは、チェコのプラハで若い女性に声を掛けられた。彼女の名はゼレンカ。自分はルミッキの腹違いの姉だという。 そんな馬鹿な話はないと思いつつも、話を聞くうちに、本当かもしれないと思えてきたのは、それが本当の記憶なのか、それとも想像の産物なのかははっきりとしなかったものの、ルミッキ自身に姉とおぼしき少女とのおぼろげな記憶があったからだった…。
読了日:09月10日 著者:サラ シムッカ
この世界からは出ていくけれどこの世界からは出ていくけれどの感想
韓国語のタイトルは「방금 떠나온 세계」で、英訳だと“The world we just left”、日本語だと「さっき去ってきた世界」といった意味になるようだ。 収録作品の中に韓国語のタイトルの作品も、この日本語版のタイトルの作品もないが、収録されている7つの作品はすべて「自分が属していた世界から他の世界へと旅立ったり、そうして旅立っていく人を見守る話だったり」するのだと著者は解説する。 「ある人が、自分が生まれ育ち慣れ親しんだ世界をふと見知らぬものとしてとらえる瞬間を描きたい」と思ったのだと。
読了日:09月07日 著者:キム・チョヨプ
キッチン常夜灯 ほろ酔いのタルトタタン (角川文庫)キッチン常夜灯 ほろ酔いのタルトタタン (角川文庫)の感想
シリーズ第三弾。仔牛のバスク風煮込み、マッシュルームのポタージュ、タルトタタン…等々、相変わらず「常夜灯」の料理は美味しそうだし、「シリウス」の新メニューも食べてみたいと思わせる出来映えで、グルメがウリの作品であることは間違いないのだけれど、どちらかというと私にとってはこのシリーズ、料理はサイドメニューで、楽しみなメインは「仕事」の方にあるようだ。 もちろん現実には、なかなかこうすっきりとお悩み解決!とはいかないだろうけれど、そこはそれ、小説だからこその甘さが美味しい。
読了日:09月03日 著者:長月 天音

読書メーター

『キッチン常夜灯 満月のキッシュロレーヌ』

 

新卒でチェーン系洋食店「ファミリーグリル・シリウス」を経営する株式会社オオイヌに就職した高坂あかりは、駅に直結するデパートのレストランフロアにある池袋店に配属された。

入社前研修をした社内売上不動の一位を確立している神保町店に勤められたらいいなと思っていたのだが、そちらに配属されたのは、同時期に入社前研修を受けた縁で、同期の中でも仲良くしている千明だった。
せめて店長が、入社後の合同研修で教育係だった浅草雷門通り店店長の南雲さんぐらい若い女性だったなら、もう少し馴染みやすかったかもしれないけれど…と、池袋店のベテラン店長、鳥羽いつきに職場を案内されながら思ったりした。

入社前研修の経験から、ホールの仕事なら自信もあったし、そこそこ使える人材であるつもりでいたが、いざ働き始めてみると棒立ち状態で、アルバイト学生やパート店員の働きぶりに呆気にとられるばかりだった。

想像以上の忙しさに気力も体力も奪われて、うまく動けない自分に落ち込んでいたとき、店長が誘ってくれたのが「キッチン常夜灯」だった。

路地地裏の古ぼけたマンションの1階で夜から翌朝にかけて営業している「キッチン常夜灯」は、フランスのバスク地方で修行をしたというオーナシェフの城崎さんと人当たりが良く包容力抜群のソムリエ兼ホールスタッフの堤さんが二人で営む店だ。

あかりは、この店で、客のことを考えて丁寧に造られた料理に舌鼓をうちながら英気を養い、出会った人たちからもいろいろな刺激をうけて、社会人としての階段を一つ一つ上っていく。

思うように出来なくて自信をなくしたり、ようやく慣れてきたと思ったらクレームにつながるミスをしてしまったり……大なり小なり社会に出たばかりの頃には誰でも経験するようなあれこれが、すっかり埃を被った読者の胸や頭を刺激し、黒歴史を思い出して時折どんよりしたりもするけれど、いつもながら美味しそうな料理のオンパレードに元気をもらいもした。

それにしても1冊毎に主人公が替わるこのシリーズ、みんながみんななんて人が良いんだろう。
私だったら自分がご褒美に訪れるようなお気に入りお店を、同期はともかく後輩や部下には教えたくないと思うかも……。

『キッチン常夜灯 夜ふけのオニオングラタンスープ』

 

路地地裏の古ぼけたマンションの1階で夜から翌朝にかけて営業している「キッチン常夜灯」は、フランスのバスク地方で修行をしたというオーナシェフの城崎さんと人当たりが良く包容力抜群のソムリエ兼ホールスタッフの堤さんが二人で営む店だ。

チェーン系洋食店「ファミリーグリル・シリウス」の池袋店ベテラン店長のいつきが、「常夜灯」に足を踏み入れたのは全くの偶然で、後輩たちのいきつけの店であることは全く知らなかった。
知っていたら多分、ふらっと入ってみたりはしなかっただろう。

勤続23年。女性の離職率の高い職場にあって、いつの間にか店舗で働く女性社員の中では最年長になってしまったいつきだが、デパートのレストランフロアにある店舗にあって、売上面でも実績のあるたたきあげの店長としての自負もある。
それだけに「女性活躍」を掲げた会社の方針で、女性の店長が一気に増えたことに対するもやもやも抱えているのだった。

若い世代の台頭で働いていた会社がだんだんと変わっていくことに対する不安もあれば、育ててきた後輩の退職問題もあり、いつの間にか年を取った両親の健康問題もあったりで、まだ40代とはいえ、いつきの抱える悩みは、このシリーズのいままでのどの主人公よりも読者である私にとって身につまされるものがある。

それだけに「常夜灯」に通うことで、自分自身を大切にしたいとおもうようになったいつきの変化と、前作までの主人公たちとの打ち解け合った交流にどこか温かい気持ちになる。

マッシュしたジャガイモと牛肉のミンチを重ねてオーブンで焼いたジャガイモを使った豪華なグラタンのようなアッシュ・パルマンティエ。
一見丸々としたキャベツそのものに見えながら、切り分けるとキャベツの中に挽肉のファルスがぎっしりと詰まっているシュー・ファルシ。
そしてもちろん、温かいオニオングラタンスープ。

シリーズ第4弾は、秋風が身に染みるようになってきた北国の今にぴったりの暖の取れる一冊だった。

『だれか、わたしを助けて』

 

収録されている作品の数にもよるだろうが、私の感覚では1冊の短篇集に2、3作のお気に入り作品があれば面白かったと評するだろうし、4作以上あったなら、絶賛するに違いない。
だけど、こんなのは想定外だ。
まさか12作品全てがこんなにも素晴らしいなんて。

たとえばこれが連作短編で、誰かの続きが気になって…というのならまだわかる。
けれどもこれ、1作1作、人も場所も背景も、何もかもが異なっていて、新しい物語を読み始める毎に読者は全く違う世界に連れていかれてしまうにもかかわらずの全部が全部!?

シベリアの極寒の町で凍えながら…「極寒の町」
アラスカのあちこちで元帰還兵が手がける仕事に震えながら…「ヘラジカを食べてくれ」
家族で訪れたバンコクで少女が目にしたものにおののきながら…「バンコクにいると」
東京・狛江のラーメン屋で心身の疲労に押しつぶされそうになりながら…「立っている男」

他者のもたらすぬくもりといたみ。
はてしない絶望とかすかな希望。

貧困、差別、暴力…社会や他者の容赦なさに打ちのめされながら主人公たちがあげるのは、まさに「だれか、わたしを助けて」という表題作に象徴されるような声にもならないような悲鳴だ。

黒人の町でアイスクリームを売る10代の白人女性は思い巡らす。
大胆になることと惨めになることとは。とてもよく似ていた。(「ダッジ通りの北側」)と。

不要品とゴミにまみれた狭い部屋に案内して男はいう。
ほかの誰かの夢の跡だ(「神を畏れるごとく我を畏れよ」)と。

繊細で美しく、そのくせとても残酷な物語たちは、1作1作がずっしりと重く、それぞれがまるで長編小説のような読み応えがある。

息を詰めて読み進め、ひとつ読み終わる毎に一旦本を閉じ、深呼吸して、反芻して、かみしめて……と、1冊読み終えるまで、かなりの時間を要したが、読み終えた今も圧倒され続けている。

 

『ルミッキ2 雪のように白く』

 

フィンランド語で「白雪姫」を意味する「ルミッキ」という名前の高校生が主役の北欧ミステリー。
本書は『ルミッキ1 血のように赤く』に続く、三部作の第二作目だ。


学校の休みを利用してひとり旅にでたルミッキは、チェコのプラハで若い女性に声を掛けられた。
彼女の名はゼレンカ。
自分はルミッキの腹違いの姉だという。
そんな馬鹿な話はないと思いつつも、話を聞くうちに、本当かもしれないと思えてきたのは、それが本当の記憶なのか、それとも想像の産物なのかははっきりとしなかったものの、ルミッキ自身に姉とおぼしき少女とのおぼろげな記憶があったからだった。

母親の死後、新しい〈家族〉に引き取られて暮らしているというゼレンカの家に招待された翌日、彼女の〈家族〉の一人が事故で亡くなった。

疑念を抱いたルミッキは、死んだ男と会っていたジャーナリストを探し出して接触した。
その夜、宿泊先のホステルの部屋に何者かが侵入してきたことで、自分の身の危険が迫っていることに気づくのだった。

家族の秘密、あやしげな組織、手に汗握る逃走劇。

美しいプラハの町を舞台に、気力と知力と体力をフルに生かしてピンチを切り抜けていくルミッキのたくましさに舌を巻きつつ、前作は激しいいじめに遭った過去、今作では真剣に想いを寄せた相手とのあれこれと、彼女がたどってきた人生のハードさ少しずつ垣間見る。

十代の少女が体験するにはあまりにハードじゃないかと思いつつも、すっかりルミッキに肩入れしてしまっている読者としては、三部作の残り一作で、なんとしても彼女に心から笑って欲しいと思わずにはいられなかった。

『この世界からは出ていくけれど』

 

『わたしたちが光の速さで進めないなら』に続くキム・チョヨプの短篇集。

韓国語のタイトルは「방금 떠나온 세계」で、英訳だと“The world we just left”、日本語だと「さっき去ってきた世界」といった意味になるようだ。

収録作品の中に韓国語のタイトルの作品も、この日本語版のタイトルの作品もないが、収録されている7つの作品はすべて自分が属していた世界から他の世界へと旅立ったり、そうして旅立っていく人を見守る話だったりするのだと著者は解説する。
ある人が、自分が生まれ育ち慣れ親しんだ世界をふと見知らぬものとしてとらえる瞬間を描きたいと思ったのだと。

その言葉通り、様々な形の「別れ」が描かれているのだけれど、いずれの作品も読後感は悪くない。

おまけに一つ一つの作品に忘れがたいシーンがある。

例えば、幻肢に悩まされ三本目の腕の移植を望む恋人を理解したい男の旅路を追う「ローラ」ならこんな一節。

誰かのことを理解したくて、人は文章を書いたり、本を探して読んだり、頑張って想像を巡らせたりするけど、あなたのように世界中を旅して一冊の本を完成させる人はめったにいないと思う。

だけど…とローラは続けるのだ。

一つだけはっきりさせておきたいの。あなたはわたしのためじゃなく、あなた自身のためにその旅をしたのだということを(p111)


あるいは異星ものの「プレスシャドー」のこんな一節も心に残る。
ここに愛着を抱かせるものが、ここへの憎しみを紛らわせてくれるわけじゃない。それは同時に存在するものなの。あらゆるものが、そうであるように(p164)


あなたのことを100%理解することはできないけれど…
同じ世界では生きていくことはできないけれど…
どんなに大切な人であっても、完全に分かり合うことはできないし、一緒にいることが必ずしも幸せだとは限らない。
それでも同じ時、互いの心を重ね合わせて過ごした時間は確かにあって、お互いの幸せを思い合う気持ちもまた本物だ。


7篇のうち4篇は異星もので、時間、空間、認知世界…と、『わたしたちが光の速さで進めないなら』よりもSF度(?)は増しているような気もするが、なぜだか妙に身につまされて、せつなくて、やさしくて、しなやかな中にもたくましい芯が一本通っているところは変わらない。
感情に訴えかける物語でありながら、感傷的すぎないところがまたいい。

キム・チョヨプ、これからも追いかけていきたい作家だ。