かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『本を読む女(ひと)』

『本を読む女(ひと)』書肆盛林堂

書肆盛林堂《ゾラン・ジヴコヴィチ ファンタスチカ》第2弾!

会いたい、会いたいと思っていた女(ひと)にようやく会えた。


時折こんな風につぶやいてしまうぐらい会いたい女(ひと)だった。

ユーゴスラビアベオグラード出身の作家ゾラン・ジヴコヴィチが生んだこのタマラさんという女性は、かなりの本好きだ。
果物好きでもあって、彼女にとって果物と本は切り離せないものらしい。
原則飲食しながらの読書はしない派の私としては、わざわざ手元に果物を用意して読み始めるタマラさんのその慣習には異を唱えたいところではあるが、その他の点では、何だか妙に共感してしまうところがある。

たとえば、彼女はよく声を出して本を読む。
あるいは、眼科医から本を読むときは眼鏡をかけた方が良いと言われた時のショック。
もしも読んだはずのページの内容が思い出せなくなったなら、その時は……。

といってもこれは、ちょっぴり…いやかなり不思議な、本と果物とタマラさんが詰まったファンタスチカ連作短篇集で、決して本好きあるあるエピソード集ではない。

むしろ、本好きにとっては、恐ろしさのあまり夢でうなされそうな物語だったりするかもしれない。

(あとどれぐらい本を読むことができるだろう)とか、(人生の最後に読む本はどんな本だろう)などと、あれこれと考え込んでしまったりもするけれど、それでも、やっぱり私は彼女に会えたことがとてもうれしい。

『第二世界のカルトグラフィ (境界の文学)』

 

地図を広げて、読み終えたばかりの物語を思い出しながら、あの町この町と指でたどってみる。
私はそんな時間が好きだ。
本好き仲間を誘って、本で旅する世界旅行を計画したこともある。
だからタイトルにある「カルトグラフィ」という言葉には強く惹かれるものがあった。

この本はフランス語圏の文学の研究者で翻訳家でもある著者が、2017年~2021年にかけて『図書新聞』に連載した「感傷図書館」をベースに加筆、再構成したもので、ブックガイドであると同時にちょっと変わったトラベルガイドでもある。
出版を手がけたのは『図書新聞』の突出広告でもお馴染みの共和国。

「カルトグラフィ」を含んだのタイトルもさることながら、お気に入りの出版社共和国の、これまたお気に入りの“境界の文学”シリーズとあっては、読み逃すことは出来まい。
そう思って迷うことなく2022年出版されると同時に購入したのだが、例によって例のごとく積読棚にしまいこんでしまっていた。

今回、共和国創立10周年を記念した“棚卸し”により、ようやくページを開いたものの、いやはやこれはまいった。本当にまいった。

“境界の文学”が、読み応えがあるだけなく、あれもこれもと読みたい本を容赦なく積み上げていく、恐ろしいシリーズだったということを思い出しても、後の祭りだった。

そもそもの話「第二世界」からして、パトリック・シャモワゾーの『カリブ海偽典』から引用された言葉だというのだ。
カリブ海偽典』……かつて手に取ってはみたもののそのボリュームにたじろいで、そっと棚に戻したんだったよな……と、思い出しつつ読み進めると、(いやだって、これはダメでしょう。今すぐ読まなくては!)という気になってしまう。

理想社会の夢が潰えたあとに、なおも人々のうちに必要とされるユートピアであり、「国家でも、故郷でも、国でもない」ものとして存在する第二世界。
遠くへ出かける必要はない。その場所はとても身近なところにある。
想像力を解き放ちさえすれば、例えばほら、所狭しと積みあげられた本の中にも…。

世界はまだまだ私の知らない面白そうな本が山ほどある!とドキドキしつつ読み進めるも、振られた話題を全く知らなかった!その作家、名前だけは知っていたけれど……と焦ってみたり、大好きな作家と作品に行き会って、なんだか妙にホッとして、この道を進んでいいんだという気持ちになったりも。

そうして私はこの本を読みながら、カリブ海を旅し、アフリカ大陸に渡り、アメリカに立ち寄って、沖縄に向かう。
この作家も、あの本も読んでみたい!読まなくては!心にメモを取りながら、本の中に見いだしたつもりのあれこれが、「現実世界」のものなのか「第二世界」のものなのか、その境界が次第にあいまいになってきたころ、一つのセンテンスに釘付けになる。

救いがたい結末を準備した作品がもたらす教訓とは、ディストピアを虚構のなかで食い止めておくことではないだろうか。(p113)

ディストピア小説について語りながら、この負の想像力を現実に凌駕させてはならない。 という著者が案内する「第二世界」を旅しながら、読み心地の良い本を好みがちな私は、未踏の地をめざして新たな一歩を踏み出すことを決意する。

どこまで行けるかわからないが、本を開いて、新たな場所を訪れ、私だけの地図をつくる……そんな読書を続けていきたい。

 

『きつね』

 

『きつね(Lisica)』はユーゴスラビア出身のクロアチア語作家ドゥブラヴカ・ウグレシッチ(1949−2023)が2017年に発表した長編小説だ。
長編小説ではあるが構成は6部立てで、各部は作者を思わせる語り手によってゆるやかに繋がっている。
一つ一つは独立した短篇のようでもあり、連作短篇のように読むこともできる。

日本、イタリア(ナポリ)、クロアチア、イギリス、アメリカ、イタリア(ローマ・ミラノ・トリノ)と部毎に舞台を変え、物語とは何か、作家とは、読者とは、ヒロインとは、ナショナリズムとは、亡命とは、移民とは……と、様々な問いを投げかけ、虚実織り交ぜながら物語る。


とりわけ圧巻は第1部「物語がどのように生まれるかの物語」だ。
この「物語が…」というタイトルは来日したソ連の作家ポリス・ピリニャークが日本について語りながら物語とはなにかを論じた短篇から借用されているのだそう。

来日した主人公(=語り手)が、ピリニャークの作品をなぞりながら、そこから更に深く掘り下げて、物語についてあれこれと思い巡らすというエッセイ風の作品だ。

ピリニャークが1926年に書いたその作品の主人公はロシア人女性ソフィアで、彼女はタカギという作家の妻だった。
タカギは情欲や下痢で身を震わせる姿が臨床的な正確さをもって書かれている…というほどに、自身の小説を丸々妻のことに費やしていた。
ソフィアがその事実を知ったときに感じたのは羞恥ではなく、自分の人生が余すことなく観察の対象になっていることに対する恐怖だったと…ピリニャークは物語る。

『きつね』の主人公は指摘する。
ソフィアは2重に裏切られたのだと。
1つ目は夫であったタカギという作家に。
2つ目は、物語がどのように生まれるかを表現するために、ソフィアの結婚生活とその破綻を描いたピリニャークに。

「彼女」は神秘的な「彼」に魅了され、「彼」は彼女を誘惑し、征服し、辱め、裏切る。「彼女」は最後に尊敬と自尊心に値するヒロインとして回復する。
ごく普通の少女がヒロインになるには、世界文学の古典体系に則って、屈辱の試練に耐えなければならなかったと主人公は指摘する。

宮本百合子の作品にもその名が出てくるロシア人作家ピリニャークが、実際に「日本通」であったことは確かだ。
タカギという作家のモデルは谷崎だろうか?
結局のところこの作品は、虚実入り交じったフィクションなのか?…と思いながら、手探りで読み進めると、「谷崎潤一郎」「田山花袋」「宮本百合子」「沼野恭子」の名前まで出てきて驚かされる。

これは面白い。面白いがとても手強い。
何が真実で何が創作なのか見分けるのは難しい。
とりわけ舞台が、ヨーロッパに移ったならば……と、心配しながら、第2部「均衡の芸術」へと進んで、そんな心配は無用だったと気づく。

とある国際会議に招聘されてナポリを訪れた主人公は、作家の死後、未亡人として活躍する女性と知り合う。
同じ企画に招かれていた80歳を越えるその女性は、とても有名で、現役作家よりもはるかに人気が高かった。
自らを「文学セレブ」と呼ぶその未亡人は、後日、主人公に謝りながら言うのだ。

 男の人はわたしを敬う。なぜだと思う?わたしが「分」をわきまえているから。わたしはひとりの男性の文才に従順に尽くし、奉仕してきた。男性の知性に尽くしてきた。だから、わたしは男性にとってのドリーム・ガール、そして彼らの潜在的な、未亡人というわけ。


続いてこうも指摘する。
芸術家の伝記をちょっと探してみれば、まちがいなく、似たようなケースが山ほど見つかる。
ファンはみんな事実とは無関係なイメージを喜んで信じる。
“人生を文学に捧げ、文学のために未亡人暮らしをつづけている”と。
2人が出会ったとき、作家は夫人より40歳も年上だったことなどには目を向けない。
移民の女の子を自分の看護人とタイピストにした変態の老人だという結論に至らないために。


文学界で女たちが担ってきた「役割」について、あれこれと鋭い指摘を披露しつつ、「分」をわきまえない自分自身についてもまた冷静に分析する主人公は、ユーゴスラビア紛争以降、自身に向けられてきた様々な攻撃を語りつつ、「亡命作家」「移民文学」についても赤裸々に語り、さらには「読まない読者」「他者に目を向けず自分を表現することばかりに熱心な書き手」についても切り込んでいく。

これはもう本当にすごかった!ものすごく良かった!
この作品の素晴らしさはもちろん、文学ネタやツッコミどころなどについても、あれやこれや書きたい、語りたい!と思いはするも、思ったことの10分の1も書けそうにない。

これはともかくあれこれ書くよりもひたすら読むべき本だなと、再びページをめくりはじめた。

『私の源氏物語ノート』

 

勤め人時代、退職したら岩波書店新日本古典文学大系の『源氏物語』を手元にそろえ、『更級日記』の著者菅原孝標女のように時間にかまわず読みふけりたいと思っていたという著者は、出版社から若い読者向けの『源氏物語』を刊行しないかと声を掛けられたとき、アレンジするのではなく、できる限り原典に忠実に現代語訳をほどこし、途中帖を抜くことで長さを調節し読みやすくすることを自ら提案したのだという。

そうして生まれたのが『源氏物語 紫の結び』で、いわゆる紫上系の17帖に、「若菜」「柏木」「横笛」「鈴虫」「御法」「幻」「雲隠」を足して構成されているという。

これが好評だったのだろう。
その後残りの帖も『つる花の結び』『宇治の結び』として、足かけ5年をかけて全篇を翻訳刊行したのだそうだ。

本書は『源氏物語』を愛読し、現代語訳も手がけた著者による『源氏物語』をめぐる読書エッセイで、豆知識はもちろん、突っ込みや大胆な推論を含めた率直な感想で楽しませてくれる。

「玉鬘」はスピンオフ!
藤裏葉」の大団円のその後に!?

「そうそうそうだよね!」「えーでも、あの場面はさあ…」「そんな読み方もあったんだ!」などと、作家と共に『源氏物語』を読んで、一緒に楽しむべく綴られているエッセイ。
若い読者を想定してのことだろう、文章も平易で親しみやすく読みやすい。
読書会メンバーが語るあれこれに耳を傾ける様な気持ちで読み進めた。

 

2024年3月の読書

3月の読書メーター
読んだ本の数:17
読んだページ数:3165
ナイス数:313

夏のサンタクロース: フィンランドのお話集 (岩波少年文庫 259)夏のサンタクロース: フィンランドのお話集 (岩波少年文庫 259)感想
収録されている十三篇のうち、とりわけ私のお気に入りは、「波のひみつ」「春をむかえにいった三人の子どもたち」「氷の花」。選んでからもう一度読み返してみて思うに、このセレクトには、ちょうど今、私が暮らす北国が、根雪が溶け始め、オオハクチョウが飛来して、ひときわ春が待ち遠しい季節だということが影響しているかもしれない。 夏に読み返したらまた違った作品に心惹かれるかも、そんな期待をしつつ、ひとまず本を閉じた。
読了日:03月28日 著者:アンニ・スヴァン,ルドルフ・コイヴ
フェルナンド・ペソア伝 異名者たちの迷路フェルナンド・ペソア伝 異名者たちの迷路感想
最も偉大な芸術家とは、最も強烈に、最も深く、最も複雑に、自分以外のすべての存在を生きる者です。(p95)とペソア。異名毎の作品分析、その社会的な立ち位置、ペソアの人生と異名者たちの人生の交わりとすれ違い……。あとがきで著者はペソア伝であると同時に、ペソア入門でありたいと考えたと語っているが、正直なところペソア初心者にとって、この大作を読み切るのは難しいかも。もし挫折しそうになったら、著者の熱い思いがこもった本書のプロローグに目を通した後、『新編 不穏の書、断章』(澤田直訳)を手にすることをお薦めしたい。
読了日:03月25日 著者:澤田 直
源氏物語 10 榊源氏物語 10 榊感想
読書会のための再読。「斎宮に母君がついて行くような例はあまりないこと」だったとあるけれど、紫式部の時代の数代前の異例中の異例のエピソードとして有名だった三十六歌仙の一人徽子女王の逸話が下敷きとなっているのかな。自身が10歳から17歳までを斎宮として伊勢で過ごし、母親が亡くなったために斎宮を退きその後村上天皇の女御となった「斎宮女御」は、娘が斎宮になったとき、周囲の反対を押し切って一緒に下向したのだとか。もっとも同行した動機は六条御息所とはだいぶ違ったようだけれど……。
読了日:03月24日 著者:紫式部
私の会ったゴーリキイ私の会ったゴーリキイ感想
ドゥブラヴカ・ウグレシッチの『きつね』を読んでいたらピリニャークが出てきたので、なんだか懐かしくなって再読。百合子のピリニャーク評はかなり辛口だったけれど。
読了日:03月23日 著者:宮本 百合子
反省の文学源氏物語反省の文学源氏物語感想
「人によっては、光源氏を非常に不道徳な人間だと言うけれども、それは間違いであると言い切るのは、読書会のサブテキストにとあれこれ読み散らかしているところに出会った折口信夫の『源氏物語』評。折口信夫光源氏を高く評価するそのわけは!?折口のこの源氏評に、今のところ「共感」はできないが、「読んで楽しい」と思ったことはメモしておきたい。
読了日:03月20日 著者:折口 信夫
源氏物語 09 葵源氏物語 09 葵感想
読書会のための再読。大きなターンがキター!という感じ!?「葵」は本当に盛りだくさん、長いけれど、どのエピソードもはしょれない!?ツッコミどころも満載だ。
読了日:03月19日 著者:紫式部
平安人の心で「源氏物語」を読む (朝日選書)平安人の心で「源氏物語」を読む (朝日選書)感想
源氏物語』を読んでいると時々とっても気になることに出くわす。会ったことのない相手に恋文をおくるのは常識!? 一夜を共にした後も、まだ顔を知らないって、どんだけ暗闇!?物の怪って本当に信じられていたの?あの人この人、あのエピソード、このエピソードにモデルはあったの?叔父と姪、叔母と甥の婚姻はOK?結婚できるのは何親等から?そういう気になるあれこれを、「平安人の常識」に照らしてわかりやすくかみ砕き、あれこれ解説してくれるなんとも親切で興味深い一冊。
読了日:03月18日 著者:山本淳子
花菱夫妻の退魔帖 (光文社キャラクター文庫)花菱夫妻の退魔帖 (光文社キャラクター文庫)感想
人ならぬ者が見える娘と、人ならぬ者を連れた青年が出会えばなにかが起きることは必然で……。『後宮の烏』の著者による新シリーズと聞いて、試しに1巻だけ…と読んでみたのだが、この調子だと、早晩続きにも手を伸ばしてしまうに違いない。
読了日:03月11日 著者:白川 紺子
正式に魔女になった二度目の悪役皇女は、もう二度と大切な者を失わないと心に誓う【電子書籍限定書き下ろしSS付き】正式に魔女になった二度目の悪役皇女は、もう二度と大切な者を失わないと心に誓う【電子書籍限定書き下ろしSS付き】感想
時間まきもどりのやりなおしもの。BOOK☆WALKER 期間限定一巻丸々無料読み。え?こんなに沢山良いの?というボリュームがあって、なかなかの読み応え。近日続刊刊行とのことだけれど、まんまとのせられて続きが気になる…。
読了日:03月10日 著者:双葉葵
源氏物語 08 花宴源氏物語 08 花宴感想
読書会のための再読。弘徽殿の不用心ぶりも、宮中の風紀も気になるところ。当時の貞操観みたいなことがわかるようなものも、なにか読んでみた方がいいかな?
読了日:03月09日 著者:紫式部
悪女(と誤解される私)が腹黒王太子様の愛され妃になりそうです!? (ティアラ文庫)悪女(と誤解される私)が腹黒王太子様の愛され妃になりそうです!? (ティアラ文庫)
読了日:03月09日 著者:栢野 すばる
仙文閣の稀書目録 (角川文庫)仙文閣の稀書目録 (角川文庫)感想
育ての親でもある恩師の残した本を必死に守ろうとする少女と、本に向ける情熱と本に関する知識だけは確かな青年典書を軸に描かれる中華風ファンタジーは、本を守るということの意味を考えさせられる1冊でもあった。Kindle Unlimited
読了日:03月04日 著者:三川 みり
冷徹公爵は見知らぬ妻が可愛くて仕方がない 偽りの妻ですが旦那様に溺愛されています (蜜猫文庫)冷徹公爵は見知らぬ妻が可愛くて仕方がない 偽りの妻ですが旦那様に溺愛されています (蜜猫文庫)感想
Kindle Unlimited
読了日:03月03日 著者:クレイン
源氏物語 07 紅葉賀源氏物語 07 紅葉賀感想
読書会のための再読。青海波の場面を描く鮮やかさはさすが!しかし女たちの方は……「美の基準」とか「美しい」とかえって「幸せ」になれないのでは…などといったことをつらつらと考えたりも。
読了日:03月03日 著者:紫式部
やり直し公女の魔導革命~処刑された悪役令嬢は滅びる家門を立てなおす~(サーガフォレスト)1やり直し公女の魔導革命~処刑された悪役令嬢は滅びる家門を立てなおす~(サーガフォレスト)1感想
Kindle Unlimited シリーズ第1巻とのことだが、第一部丸々収録されているので、とりあえず一旦ピリオド。筋運びに必要だったとはいえ、前世の記憶を頼りに一発逆転を狙って発明した魔道具が銃というのがなんとも……。自分や自国の運命だけでなく、世界を変えちゃうよね。いきなり銃はさ…。
読了日:03月03日 著者:二八乃端月
悲惨な結婚を強いられたので、策士な侯爵様と逃げ切ろうと思います【初回限定SS付】【イラスト付】 (フェアリーキス)悲惨な結婚を強いられたので、策士な侯爵様と逃げ切ろうと思います【初回限定SS付】【イラスト付】 (フェアリーキス)感想
Kindle Unlimited 悪役王太子が酷すぎた気も。
読了日:03月03日 著者:鬼頭香月
愛しい人の幸せのため、悪役だって全力で頑張ります! 【初回限定SS付】【イラスト付】 (フェアリーキス)愛しい人の幸せのため、悪役だって全力で頑張ります! 【初回限定SS付】【イラスト付】 (フェアリーキス)感想
Kindle Unlimited
読了日:03月02日 著者:鬼頭香月

読書メーター

『夏のサンタクロース』

 

むかし、ひとりの男がいて、息子が三人ありました。息子たちは大きくなると、お父さんに向かって、こういいました。
 「のくたちに、つえを一本と、お弁当を入れた背負いかごどひとつずつください。世の中へ出ていって、運だめしをしたいんです」


こんな風にはじまるのは巻頭作「お話のかご」。
三人の若者は、たがいにさようならをいいあって、それぞれ選んだ道を歩き出す。

古今東西、三人兄弟姉妹が出てくるお話は山ほどあるけれど、ごく希に苦労を背負ってきたであろう一番上が報われることがあるものの、たいていの場合、幸運に恵まれるのは末っ子と決まっている。
三人姉妹の真ん中として育った私は、ああまたか…と思いつつ読み進めるも、ちょっぴり意外な結末になんだか心が温まる気が。


哀しかったり、切なかったりするお話もあるけれど、昔話にありがちな残酷さはなりをひそめ、どの物語も後味は悪くなく、就寝前に一つずつ…と読み進めても安心して眠りにつける心地よさがあった。


訳者あとがきによれば、作者のアンニ・スヴァン(1875-1958)は、フィンランドの「童話の女王」と呼ばれる作家だとのこと。
支配階級の多くが使ったスウェーデン語ではなく、民衆の言葉であるフィンランド語を用いて、フィンランドに伝わる民話や伝説をモチーフにしつつ、独自の世界を築いた作家だそうだ。

本書はそんな作家の童話を集めた作品集の中から、訳者が日本の読者にぜひとも読んでほしいと思った作品十三篇を選んで一冊にまとめたものだという。

原書にも使われているというとルドルフ・コイヴの挿絵がまたすばらしく、思わず何度も見返してしまう。


十三篇のうち、とりわけ私のお気に入りは、「波のひみつ」「春をむかえにいった三人の子どもたち」「氷の花」。
選んでからもう一度読み返してみて思うに、このセレクトには、ちょうど今、私が暮らす北国が、根雪が溶け始め、オオハクチョウが飛来して、ひときわ春が待ち遠しい季節だということが影響しているかもしれない。

夏に読み返したらまた違った作品に心惹かれるかも、そんな期待をしつつ、ひとまず本を閉じた。

『フェルナンド・ペソア伝 異名者たちの迷路』

 

クリーム色とでもいうのだろうかほんのわずかに黄色がかった白地にほどこされた白箔、まかれた帯はカバーよりも白だ。
全体にただ白いだけではない、白箔と帯の白さが、うすく黄色がかったカバーの色味を浮かび上がらせる効果があって美しい。
視覚よりも意識に直接働きかけるかのようなこの装丁を眺めていると、頭の中にぼんやりと浮かんでくるのが、帽子をかぶったペソアのシルエットだ。

そういえば私がはじめて読んだペソアは、この本の著者澤田直氏が翻訳したものだった。

ポルトガルの国民的詩人フェルナンド・ペソアについて500頁近い大作を書き記した澤田氏は、留学先のパリで一冊の詩集に出会って以来、ペソアに惹かれ続けて、ついにはポルトガル語を学び自身の手で『新編 不穏の書、断章』を翻訳してしまったというフランス文学者だ。

詩人の作品や書き残した言葉をふんだんにひきつつ、詩人の生涯とその功績を語りあげた本書の一番の読みどころはやはり、異名とはなにか…ということではなかろうか。

最も偉大な芸術家とは、最も強烈に、最も深く、最も複雑に、自分以外のすべての存在を生きる者です。(p95)というペソア

異名者とは“「わたし」のうちの他人でもなければ、未知の部分でもない”。
ペンネームを使い分けるというのではなく、詩人本人とは全く違った人格をもった異名者という存在。

異名毎の作品分析、その社会的な立ち位置、ペソアの人生と異名者たちの人生の交わりとすれ違い……。

あとがきで著者はペソア伝であると同時に、ペソア入門でありたいと考えた。と語っているが、正直なところ「名前は聞いたことがあるけれど…」というような、ペソア初心者にとって、この大作を読み切るのは難しいのではなかろうか。
そういう読者にはまず、著者の熱い思いがこもった本書のプロローグに目を通した後、『新編 不穏の書、断章』(澤田直訳)を手にすることをお薦めしたい。

もっとも、ペソアのことは良く知らないけれど、同時代のマルセル・プルーストジェイムズ・ジョイス、あるいはそれに続く作家たちの「自我」関するあれこれに関心をもってきたという読者であれば、ペソアへの入り口として興味深く読むことが出来るかもしれない。

そして、ペソアについてもっと知りたい、その作品をもっと読みたいと常々思っているというような、「沼」に足を取られつつある読者ならきっと、繰り返しページをめくることになるだろう。