直木賞が話題にのぼるたびにいつも思うのだけれど
私は直木三十五の作品の魅力が全くわからない。
これまで、何度かチャレンジしてみたことはあるのだが、
読みかけては挫折し、
書きかけては放り出し……。
古ぼけた思想でも旧仮名遣いでも
大抵の文章には免疫があると思っているのだけれど
どうやらこの作家と私の相性は最悪らしい。
なかでもコレ、
わずか4ページほどの文章なのだが、
もうね。
生理的に許せないレベルなのだ。
おそらくこれは、
私が時雨びいきであることも一因なのだとは思うけれど…。
もっとも長谷川時雨自身は、軽くいなしていたのだろう。
『三十五氏』と題するには追悼文で
あれこれと思い出を語っている。
それは時雨が一枚も二枚も上手だったということなのかもしれないが
失礼極まりないことを言われても
笑ってやりすごさなければならないのは
いつも女の方なのよね……と、思ったり。
それにしてもいまでも読み継がれているとは言いがたい直木作品。
その名を冠する文学賞ってなにかの皮肉?と思ってしまうのは私だけ?