マニトバ州の北部にあるその家は、一軒だけでバドゥラ・レイクという村のすべてだった。
母のミナと年下のいとこのシャーロット、そして物語の語り手である14歳の少年ノアが暮らす家。
父親のアンソニーは、仕事を理由に一年のほとんど旅に出ていた。
その「村」が地図に記されているのはひとえに、一家の主であるアンソニーの仕事が地図製作だったからに過ぎなかった。
1956年の4月、久々に帰宅したアンソニーは無線機(短波ラジオ)を携えていた。
これ一台で送受信ができるのだと自慢げに息子の頭にヘッドホンを取り付けたアンソニーだったが、期せずしてノアが耳にすることになったのは、親友ペリーの訃報だった。
その年の夏も、それまでのいくつかの夏と同様に、自宅から90数マイル離れたクイル村で過ごすと決めたノアは、いつものように郵便物を積んだ小型飛行機(郵便機)に乗り込んだ。
クイルで喪失感に苦しむペリーの家族と共に暮らしながら、先住民クリーの人びと、罠猟師、宣教師など、さまざまな人たちと交わるノア。
一方、バドゥラ・レイクに残ったミナはますます孤独にさいなまれ、シャーロットをおびえさせるのだった。
美しく自然豊かな北の大地に後ろ髪引かれながら、物語は後半、ノアと家族とともに都会・トロントの映画館〈ノーザン・ライツ〉に舞台を移す。
だが、大勢の人が暮らす都会にあっても、時として人は孤独を感じずにはいられないものなのだ。
ラジオや手紙、郵便機のパイロットがもたらす報、そして夢…。
人は離れていても他者の存在を感じることが出来る。
けれども、そこにいると、あるいはあるとわかっていても、直に触れることのできないというどうしようもない事実がもたらす寂しさがある。
誰かが誰かを思いやる。
誰かが誰かを忘れずにいる。
ただそれだけのことで、慰められる心もあるが、肩を寄せ合い、ふれあってみてもやはり、どうしようもなくつのる寂しさもある。
周囲の人々が抱えるそうした寂しさをじっと見つめながら、少年もまた自らの胸の内と向き合うすべを学んでいく。
凍てつく北の大地では、大きく息を吸うことはお薦めできない。
肺が凍り付かないよう静かにそっと息をする。
その静けさがもたらす、寂しさや悲しみや優しさやぬくもりをゆっくりとかみしめる。
これはそんな物語だ。