かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『世界の果て、彼女』

 

待ちに待った三十回目の誕生日を迎えたその日、化粧を落とすどころか、服もろくに脱がずにベッドに倒れ込むようにして眠りについたというのに、三時間後に父の電話で起こされた。
先日旅先で世話になった遠縁の若者が新婚旅行を兼ねてソウルに来ているから、きちんともてなすようにというのだ。
三十歳になったなら……かつてはいろんなことを期待していたはずなのに。
そんな私の誕生日を描くのは「君たちが皆、三十歳になった時」。


この頃、今までの人生でやり残したことが思い浮かんでしょうがないの。あなたにはまだそれがどんな気分かわからないでしょうね。やったことは、その結果がどうであれ心には何も残らないのに、やり残したことは、それをしたからってどうなるわけではないと知っていても忘れられないのよ。

図書館で目にした一編の詩からはじまる物語は、表題作「世界の果て、彼女」。

ある写真家が出水で撮ったナベヅルの写真に惹かれて、亡くなったその写真家の評伝を書くことを引き受けたライターは、自身も出水を訪れてみることに。「君が誰であろうと、どんなに孤独だろうと」。


7つの作品が収録されている短編集。
いつもながら、キム・ヨンス。
語り口はやさしく詩的で、お気に入りのフレーズをいくつも抜き書きできそうだ。


なんてことのないごく普通の人生の、ごくごく平凡な一コマの、それでいてとても個人的な心の内を描いている物語。
読んでいるとそれは誰の物語であってもおかしくないと思えてくる不思議。

物語の舞台はソウルであったり、出水であったりと特定されているはずなのに、読者の住むどこか別のまちに置き換え可能であるかのように思えてくる不思議。

そのくせ、目をこらせば、しっかり社会背景が書き込まれていて、誰のどんな人生も、社会と無関係でいられないことや、物語はやはり、その街の、その人のものでなければならないのだということを改めて意識させられたりもする。


私はあなたのことを知らない。
知らないからこそ惹かれるのだと割り切れればいいのだけれど、知らないことがとてもさびしく感じられる時がある。

考えてみれば、自分自身のことだってよくわからないのに、なぜ他人の気持ちがわかったような気になったりするのだろう。
相手のことをこうだと思いこんで、それ故にすれ違う。
どうしていつも、そんなことを繰り返してしまうんだろう。

頭の片隅でそんなことをぼんやりと考えながら、物語を読む。
とてもせつなくて、読んでいると、なぜだか少しやさしくなれる気がする。


<収録作品>
「君たちが皆、三十歳になった時」「笑っているような、泣いているような、アレックス、アレックス」「休みが必要」「世界の果て、彼女」「君が誰であろうと、どんなに孤独だろうと」「記憶に値する夜を超える」「月に行ったコメディアン」