かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『小さな徳 (須賀敦子の本棚)』

 

須賀敦子が選者となって自分の愛する作家・作品を集めたら──そんなコンセプトのもと、遺された新発見原稿や、須賀の思想の核となった作家・詩人・思想家による著作をすべて訳し下ろしで収録したコレクション「須賀敦子の本棚」の1冊。

18頁にわたる読み応えのある訳者あとがきと池澤夏樹氏による8頁の解説を加えても165頁という薄い本ではあるが、ものすごく読み応えのあるナタリア・ギンズブルグ(1916-1991)のエッセイ集だ。

この本には、1940年代から60年代にかけて執筆された11篇のエッセイが2部構成で収録されている。
分類は著者自身によるものだそうで、第1部には20代から40代かけての著者の記憶が、親しい人々への追憶と共に語られる。
第2部では、少女の視点からさまざまな経験を経て次第に母親の視点になっていく著者の軌跡をたどることが出来る。
いずれのエッセイも、著者自身がそのまっただ中をくぐり抜けざるを得なかったファシズムの嵐と切り離せるものではなく、それだけにユーモラスな題材を扱っているものでさえ、どこか張り詰めたような緊張感を感じさせる。

けれどもそれは、決して憂鬱なものでも不快なものでもなく、読んでいるとなぜか、見知らぬ土地にに対する郷愁と、著者と著者が愛した人々に対する切なく愛おしい想いばかりがこみあげてくる。

たとえば、反ファシズムの活動家として知られる最初の夫レオーネ・ギンズブルグと2人の子どもと共に暮らした流刑地アブルッツォの思い出。

 初雪がちらつく頃になると、なにかしらもの悲しいものがじわじわと押し寄せてきた。そこは私たちの流刑の地だった。私たちの町は遠かった。書物も友だちも、本来の暮らしの変化に富んださまざまな出来ごとも、はるかかなただった。
  (「アブルッツォの冬」)


あるいは、友人チェザーレ・パヴェーゼと彼の愛したトリノの町について語りあげた「ある友人の肖像」。

 私たちの友人が愛した町は今も昔も変わらない。多少は変わったところもあるけれど、とりたてて言うほどの変化ではない。トロリーバスが走るようになり、地下道が何か所かできたぐらいだ。新しくできた映画館もないし、昔の映画館が名前もそのままに残っている。昔ながらの名前を繰り返しつぶやいていると、青春と子ども時代が蘇ってくる。私たちは今、別の町に住んでいて、なにもかもすっかり別ものの、もっと大きな都会で暮らしている。私たちは会えば故郷を話題にするけれど、その町を離れたことを悔やむ気持ちは少しもない。あの町ではきっともう暮らせないもの、などと言っている。でも、いざもどってみると、…(以下略)
 (「ある友人の肖像」)



読みながら郷愁に浸っていたつもりの読者は、思いも寄らぬところに連れて行かれて、毎度毎度衝撃を受ける。

同時に、ナタリア・ギンズブルグがパヴェーゼについて書いたように、須賀敦子がキンズブルグについて書き、須賀敦子を慕う人々が彼女の愛した作品を世に送り出す…作家もその作品も、そうやって生き続けていくものなのだということに感銘を受ける。

ナタリア・ギンズブルグはもちろん須賀敦子ファンにもぜひともお薦めしたい1冊だ。