かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『ホメーロスのイーリアス物語』

 

ホメーロスの二大叙情詩『イーリアス』と『オデュッセイア』が、ギリシアトロイアイーリアス)との間の長い戦争にまつわる物語であることや、『イーリアス』がアキレウスを、『オデュッセイア』がオデュッセウスを主役にした物語であることを知っている人も、『イーリアス』がいきなり、アキレウスギリシア軍の総大将アガメムノーンとの仲違いから始まることを知っている人はそう多くないかもしれない。

アキレウスがアガメムノーンと仲違いし、戦死した親友パトロクロスの復讐を遂げることになったいきさつ。
それはギリシア軍がトロイアの攻撃を始めてから、9年目に起こった出来事だった。

ホメーロスがこれらの叙情詩を物語ったのは、今から三千年も昔。
トロイアが陥落してから四百年ほどたった頃のこととされていて、当時これらの叙情詩に耳を傾けた人たちは、物語についても登場人物についても、ギリシアの神々にまつわるあれこれについても熟知していたから、物語がいきなり口論の場面で幕を開けても、さしたる問題はなかったことだろう。
けれどもそれから長い年月を経た現在にあってはあらためて説明が必要だろう断りをいれて、イギリスの児童文学作家バーバラ・レオニピカードは、この再話に当たって、プロローグとして“ギリシア軍がトロイアに遠征することになったいきさつ”を、エピローグとして“トロイア戦争の終わりと、幾人かの英雄たちのその後”を紹介している。

本編は大幅にはしょっているとはいえ、流れは原典に忠実。

amazonのレビューなどで「ギリシアの英雄譚に偏っている」という意見を見かけたが、そもそもの主題がアキレウスの英雄譚にあるのだから、トロイアの英雄たちやギリシアの神々のうちの幾人かにまつわるあれこれは、はしょらざるを得ないところ。
これはこれで十分アリだとおもう。

この再話の一番のミソはなんといってもプロローグだ。

そもそもアキレウスが人間の王と女神テティスの間に生まれた人物で、「長命をたもって無事平穏な一生をおくり、死後にはその名を忘れられてしまう」か、「短命だが、栄光にみちた生涯をおくり、永久にその名をたたえられるか」のどちらかを選ばねばならない運命にあったこと。

「いちばん美しい人に」という文字が書き込まれた黄金のリンゴをめぐる女神たちの諍いと、トロイア戦争の発端となった“世界中で最も美しい女”ヘレネーをめぐる因縁。

こうした前提を知っているのといないのとでは、物語の印象も理解度も全く違ってくるだろう。

物語としてはなかなか面白くはあるのだが、よくよく考えてみると、ひと握りの支配階級の身勝手な振る舞いに翻弄され、傷つき死んでいく大勢の人々の悲惨な運命もさることながら、結局のところその支配階級たる「英雄」たちの命がけのあれこれさえも、神々の駆け引きの結果にすぎないという、何とも皮肉な物語なのだった。