かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『水 本の小説』

 

最初にお断りしておくが、私は決して北村薫の良い読者ではない。
忘れもしない2015年。
作家が 『太宰治の辞書』というタイトルの本を出すと聞き、太宰ファンとしては読み逃せないと思いつつも、これがシリーズ物の17年ぶりの新刊なのだと知って、刊行に併せて一気に既刊本5冊を読み通したあげく、いずれもかなり辛口のレビューを書き散らかしたという過去もある。

とにかく、作家がその作品の中で惜しみなく披露するその博識ぶりや蘊蓄の数々に感心しつつも、“小説ぐらい好き勝手に読ませてよ”という気分になってしまうのだ。

本書に収録された本を愛する作家が、言葉と物語の発する光を掬(すく)い取り、その輝きを伝える7篇には、向田邦子隆慶一郎山川静夫遠藤周作小林信彦橋本治庄野潤三エラリー・クイーン芥川龍之介徳田秋声らが登場する。

その顔ぶれなら、作家の蘊蓄ぶりもさほど気にならないかも……と、またもや性懲りも無く手を伸ばした。

変わったタイトルの「○」の中で、紹介されている橋本治のエッセイにこんなくだりがあった。

 小林信彦氏ほど、読むに際して膨大な教養を必要とする作家はいない筈である。そしてその膨大さが並のものではないというのは、この人が、その膨大な教養を、一人で作ってしまったからである。



このくだりを含めた2ページほどの引用文の中の「小林信彦」を「北村薫」と置き換えても、意味が通じそうだななどと思って思わず苦笑いしてしまう。


決して、あー面白かった!と言えるような本ではない。
読み込むにはかなりの“忍耐”と“教養”が必要とされそうな、通好みの1冊ではないかと思う。

正直に言えば、途中で何度も挫折しそうになり、斜め読みした箇所もある。

けれども、昔読んだ物語を探索するくだりや、“数多い作品の中から、忘れ難い一節を抜いて札にする”「日本文学カルタ」を作る試み、私小説をめぐるあれこれなど、惹かれる部分も多く、またもや食傷気味になりつつも、読みたい本のリストを伸ばし、いつか私も私なりの「文学カルタ」を作ってみようかしらんなどと考えていたりするのだった。