人文書院の津島佑子コレクション第1巻『悲しみについて』の巻末に収録された「人の声、母の歌」を読んで以来、“石原燃”は私にとって特別な語り手になった。
だから彼女が小説を書き上げたと聞いたとき、これはもう絶対読む!と決めていたし、「太宰治の孫」が芥川賞候補に名を連ねたと世間が騒いだときにも、この書き手は人寄せパンダのような扱いをされる作家ではないはずと、腹立たしささえ感じもした。
だが、正直なところ、この小説の良し悪しを評することは(そうすることが必要かどうかは別として)私にはできそうにない。
なぜなら、私にはこの物語を、かつて読んだ全く別の物語と切り離して読むことが出来なかったから。
だからといってこの作品が、面白くなかったとかいうことでは決して無く、むしろこの先もきっと繰り返し読むであろう、素晴らしい物語だと思うのだが…。
画家だった母恭子を亡くした千夏は、夫を亡くしたばかりの芽衣子と二人で、芽衣子が生まれ育ったブラジルへと旅立つ。
芽衣子は母の友人で、二人が向かった先は、生前、母がぜひ行きたい、そこで芽衣子の絵を描きたいと言っていた地でもあった。
父親の不在、弟の死、母娘の確執……千夏と母をめぐるあれこれと、日本人の夫と結婚しブラジルから日本へ移住した芽衣子の半生が、千夏自身の回想と芽衣子との会話をもちいて、角度と形を少しずつ変えながら繰り返し語られていくことによって、次第に明らかになっていく。
もちろんこれは小説で=作家自身の物語そのものではないのだとわかっているのだが、この設定ではどうしても、作家が津島佑子の娘であることを強烈に意識せずにはいられない。
津島の作品にたびたび登場するような夢かうつつかといった幻想的なシーンはなく、終始しっかりと地に足が着いているような舞台設定で、筆運びも質感も明らかに異なっているのに、私はどうしてもこの物語を『悲しみについて』と切り離して読み進めることが出来なかった。
母が語った物語にかぶせて、娘が語るもう一つの物語はまさに、私にとっては、はじめて『悲しみについて』を読んで以来ずっと気になっていた、あのひとの娘の物語でもあったのだ。