かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『青木きららのちょっとした冒険』

 

親子以上に年の離れた読友Kちゃんの、“とてもよかったがどう良かったのか言い表すのが難しいので、是非読んでみて感想を聞かせて欲しい”という言葉に促されて読んでみた。
名前だけは知っていたが、初めましての作家さんだ。

きらきらと輝いているのかとぼけているのかよくわからないタイトルと装丁にちょっと戸惑いながらも頁をめくると、派遣の警備員として働く主人公がその美しさに平伏するほど輝いているというモデル兼俳優の名が“青木きらら”なのだと知る。(「トーチカ」

ところが、次の物語では語り手のライター「私」の名前が「青木」で、どうやら出張先の街には女性しかいないような…?(「積み重なる密室」

3作目の「スカート・デンタータ」では痴漢の被害にあった女子高生の名前が青木きららなのだが、語り手はどうやら痴漢の常習者らしい男だったりする。
電車内の痴漢たちが文字通りスカートに“歯向かわれる”この話では、スカートが痴漢たちに食いついて怪我をさせたことで、被害者と加害者を入れ替えてしまうような主張が繰り広げられ、現実にはあり得ない設定の中のリアルにゾッとしたりする。

続く「花束」では河原で殺害された少女の死がイベント化。

5作目の「消滅」は、結婚して姓が変わった学生時代の友人たちとの会食を通じて、突きつけられるあれこれにも胸が痛む。
青木は戦いたくなかった。戦わないと得られないものを、自分が得ることができるとは思えなかった。夫が戦うことなく得るものを、自分は戦わないと得られないというのはどうにも納得できないことだった。という一節に、頷きつつ気づく。
ああそうか青木きららは、誰かではなく、誰でもあるのだと。

「消滅」の語り手が戦ってなにかを勝ち取らなければならない世界なら、戦わない者が戦わないツケを払わざるを得ない世界なら、我が子は生まれなくてよかったのだと思う若い女性なら、「愛情」は、あなたはちゃんと仕事をしなさい。と専業主婦の母親に言い続けられて育った若い女性が語り手だ。
母親の望み通り働きながら子育てをするその語り手は、夫の協力も得られずに常にいっぱいいっぱいで、結局娘の代わりに母親があれこれと孫の面倒を見ているのだけれど、子どもを産んだ年齢から考えても、自分の子が親になったとき、孫の面倒を見る生活など想像が付かなくて……。
この「愛情」「消滅」と対をなすようなのかと思いながら読んでいたら、後半に世界がぐるっと反転する。

「幸せな女たち」のきららの異性愛者だと表明した覚えはなかったというくだりも印象的だが、この作品の中の映像と写真を比べて語られる写真の魅力も忘れがたい。

全部で9篇。
どの話にも「青木きらら」が現れる。
といっても、最初と最後の物語以外は、みんな違う「きらら」だ。
物語の中の彼女たちは、全く異なる設定の違う「きらら」ではあるはずなのに、その一度聞いたら忘れられないキラキラネームそのものの名前を、次第に失っていくという共通点を持っている。
失ったのか奪われたのか、いずれにしてもあとに残るのは、「少女」や「女」や「妻」や「母」だ。

「青木きらら」は誰でもないと同時に誰でもありうる。
それがたとえあり得ないような設定の中であっても、その誰かの痛みや傷がとてもリアルで胸がしめつけられる。

「あなたも青木きららだったのね」
読み終えた後、読友Kちゃんにメールを送ると、すぐさま笑い泣きした顔とハートが沢山ちりばめられた返事が返ってきた。

ここ数年、フェミニズムや多様性を描いた作品が続々と発表されてきているが、こんな風に軽やかに切り込んでいく物語が若い読者の心をつかんでいることがうれしい。