かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『製本屋と詩人』

 

内容も装丁もそそられることの多い出版社「共和国」が、今度はチェコの詩人の本を出した。

しかもそれが現代詩人の作品ではなく、没後100年になる20世紀初頭の革命詩人だと知ったとき、そんな物好きな本を好むの読者はそう多くはないだろうという気持ちと、これはなんとしても読まなくてはと思う気持ちが同時に押し寄せてきて当惑した。

そんなわけで本書は、20世紀初頭のチェコを代表する革命詩人、イジー・ヴォルケル(1900-24)が短い生涯に残した数多くの童話と詩から精選する、日本初の作品集だ。

実をいうとイジー・ヴァルケルという名には覚えがあった。
といってもそれは、私のお気に入りの作家カレル・チャペックが、そのエッセイの中で、批判的に取り上げていたからだった。
カレル・チャペックはイジー・ヴァルケルと政治的立場を異にしていたからこその批判でもあったのだが、わざわざ名前を挙げて批判せねばならないほど、重要視していたようにも思われて、気になっていたのだった。

そんなイジー・ヴァルケルの作品に初めて触れたのは、数年前 『ポケットのなかの東欧文学-ルネッサンスから現代までを読んだ時。

この分厚い本の中にたった一篇、詩が収録されていたのだった。

そんなこんなでなかなか手が届かなかった詩人の作品が丸々1冊分読めるというのだから、いそいそと手を伸ばさないでいられるはずもない。
というわけで、読んでみた。

収録されているのは、物語が5篇、詩が24篇、評論が1篇に、読み応えのある訳者あとがき。
とりわけ私のお気に入りは巻頭表題作『製本屋と詩人』。

こんなお話だ。
  
   *****

裕福な人たちが住む地域で暮らす詩人が、お金持ちの美しいお嬢様を喜ばせ、あわよくば花婿の座を射止めようと、精魂込めて1冊の本を書き上げました。

『あらゆる喜びからあふれるさらなる喜び』

世界でもっとも美しく、明るく楽しい詩のはずでした。

その製本を、腕の良さに定評のある貧しい地区で暮らす製本屋に依頼するのです。
製本屋の妻は重い病に苦しんでいて、製本屋は妻のために報酬が期待できるこの仕事を引き受け、とても美しい本を仕上げました。

そのできばえに満足した詩人は、祝いの日に人々の前で自分の作品を朗々と読み上げるのですが…。

   *****


本というのは、書く人だけでなく、製本する人、読む人と、様々な人の手を介してはじめて完成するのだとあらためて感じ入る。

「素敵な本をありがとう。」と、あの人この人にお礼がいいたくなってきた。

詩はもちろんのこと、物語の方も、黙読だけでなく、思い切って声に出して読んでみるのもお勧めだ。

『ロリータ』

 

ナボコフの作品はこれまで何作か読んだことがあるが『ロリータ』を読むのはこれが初めて。
もちろん『ロリータ』がナボコフの代表作の一つであることは知ってはいたが、これまでどうにも食指が動かなかったのは、そのスキャンダラスな評判以上に、改めて読むまでもなく大まかなストーリーは知っていると思い込んでいたからでもあった。

小児性愛の性癖を持つ中年男の目を通して語られる、幼い女の子との「恋愛」物語で、その逃避行がロードムービー的な要素も持っている”というのが、本作を読む前の私の認識で、この勘違い男が、自分の「恋」を美しく歌い上げたがために、同じような勘違い男たちがお墨付きをもらったような気になったのだろうし、そういう意味ではナボコフにもある程度責任があるのでは、などとも思っていた。

ところが、実際に読んでみるとこれが、聞きかじりから想像していたような話ではなくて、思わずナボコフに謝りたくなった。


物語は、刑事裁判を控えた男ハンバートが、陪審員や裁判官に「真実」を訴えるためにと書き始め、筆を進めるうちにこの大作は後世に読み継がれるべきものだと確信し、当事者である「ロリータ」の死後という条件付きで出版されるように弁護士に託した原稿だという設定だ。

ハンバートの考えでは、ロリータは自分よりずっと若いのだから、自分が死刑にならなくても、ロリータが死ぬ頃には自分も生きてはいないだろうというのだった。

ちなみにハンバートは公判期日の直前に病死してしまったがために、この手記が裁判の証拠として提出されることはなかった……ということになっている。


フランスやオーストリアの祖先を持つ父と英国人の母との間にパリで生まれたハンバートは、3歳の時に不慮の事故で母を亡くし、初恋の相手は幼くして病死する。

こうした経歴を書き連ねて、陪審員の同情を買う作戦かとおもいきや、そうでもなさそうで、数ページ後には

9歳から14歳までの範囲で、その二倍も何倍も年上の魅せられた旅人に対してのみ、人間ではなくニンフの(すなわち悪魔の)本性を現すような乙女が発生する。そしてこの選ばれた生物を、「ニンフェット」とよぶことを私は提案したいのである。

なんてことを書いていたりする。

流れ着いたアメリカの地でニンフェットを見いだした男は、勝手に“ロリータ”と名付けたその少女と一緒に居たいがために、少女の母親と結婚する。

母親は母親で新婚生活に邪魔な娘をキャンプにやり、新学期からは寄宿学校にいれよう画策する。
そんなことになったら、ロリータと一緒にいられなくなるではないかとあせる男と、夫の様子を不審に思って、その秘密を探り出す妻。
彼の目当ては自分ではなく娘だったと知り、行動を起こそうと立ち上がったとき、妻は不慮の事故で亡くなってしまう。

あまりにもできすぎだと思いつつも、母親がいなくならなければ、ロリータとの逃避行にはならないだろうと無理矢理納得して読み進める。

はなから「信頼できない語り手」として読者の前に登場するハンバートが語るのは、睡眠薬をもって少女に暴行を働こうとしたり、少女に母親の死を知らせないまま危篤の母に合わせるなどといって連れ回したり、身寄りを無くした少女を強迫していうことをきかせ、暴力を振るい、繰り返しレイプするというぞっとするような話ばかりで、これが全部、彼の妄想であるならいいのにとさえ思う。

いったいこれのどこが、美しい物語なのだ?

ロリータと名付けられた少女が、自分を愛していないことなど百も承知のはずなのに、きらいきらいも好きのうちだとでも思っているのか?
多少反抗的でも自分の力でねじ伏せられる相手だからこそ、少女を愛するのだろうか?
いやそうではない。
この男、彼女の気持ちなどどうでもいいのだ。
ハンバートが少女の母親にしたことを考えれば、愛だの恋だのという前に、彼が関心を寄せるのは自分の欲望だけで、他人のことなど心底どうでも良いのだとしか思えない。

ハンバートが語るロリータは、下品な言葉を平気で口にするどこまでも生意気な不良少女だ。
だがそう語られてはいても、行間に浮かび上がる少女は純然たる被害者で、強迫と暴力で押さえ込まれ、身体の自由だけでなく名前さえも奪われながらも、孤独と恐怖に必死に耐えて、ついに自らの意思で魔の手を逃れることに成功する痛ましくもたくましい女の子だ。

そう考えれば、凡庸で身勝手な女のように描かれている少女の母親の実像もまた、ハンバートが読者の頭に植え付けたそれとは違ったものであったかもしれない。

そう彼は信頼できない語り手だ。

一人の男の傲慢な欲望によって、何もかも奪われたかに思えた少女が、不屈の精神で自分自身を取り戻そうともがいたもう一つの物語が、男の独白から浮かび上がる。

 

 

 

『わたしが先生の「ロリータ」だったころ』

 

この本のことは、発売前から気になってはいたのだけれど
まずはナボコフの『ロリータ』を読んでからだろうという気がしていた。
ナボコフの作品はいくつか読んだことがあり、
それなりに好感を持っていたのだが、
『ロリータ』には食指が動かず読んだことがなかったのだ。

でもこの本の中のアリソンもまた、
『ロリータ』をじっくり読んだのはずっと後のことだったと知って、
思い切ってこちらから読んでみることにしたのだった。

鬱を患い不眠症自傷癖があり、
中学のことから何年もセラピストの診療所を渡り歩き、
あらゆる薬物療法を受けてきたアリソンは、
高校三年(ジュニア)のときには一年間支援スクールに通っていた。
そこでの成績はオールA。
いくつかの選択肢はあったが、
17歳の彼女はハント高校に戻ることにした。
「悲しみと孤独の床から抜けだして普通の人間になりたかった」のだ。

高校に戻ったアリスンは、
文芸創作を担当する教師にその才能を見いだされ、
文章指南役としてニック・ノースという新任の英文学教師を紹介される。
ニックは当時26歳で、その親しみやすさと大人の魅力で、
女生徒たちの憧れの的だった。
そんなニックとの出会いをきっかけに明るさを取り戻し、
学校生活にも自然と溶け込めるようになったアリソンは、
ニックを王子様だと思い込み、彼との秘密の恋愛にのめり込んでいったのだった。

そんなノース先生ことニックの愛読書は、ナボコフの『ロリータ』で
ことあるごとにアリスンと自分のことを『ロリータ』になぞらえる。

ふたりの関係は、アリソンが大学に進学してからも続き、
やがて破局が訪れたあとも、
アリソンはまだ、ニックを慕う気持ちを捨てきれずにいた。
『ロリータ』と真剣に向き合うまでは……。


端から見たら、
身勝手な大人が少女を支配する以外のなにものでもないように思われるこの関係、
だがしかし、タイトルにあるように否定的なコメントから始まっていなかったならば、
あるいは美しくほほえましい回想シーンから始まっていたならば、
またもし語り手がアリソンではなく、ニックだったならば、
読者の受け止めはかわっただろうか。

やがてアリスンは教壇に立つ。
たしかに『ロリータ』は美しい。
でも、同時におぞましくもある。
そのふたつは両立しうるのだと彼女は考える。

彼女は『ロリータ』をとりあげて講義をする。
自分の経験を語ったりはしない。あくまで作品を取り上げる。
けれどもそこには、
教え子たちが自分と同じような苦しみを味わうことがないようにという
願いがこめられている。
そしてもちろん、その願いはこの本にも。


こんな経験は私にはないが、それでも、
愛だと思っていたあれこれが実は身勝手で理不尽な要求に過ぎなかったかもしれないと、
自分や親しい友人たちの若かりしころの恋愛を思い浮かべて思うことはある。
もしかしたら……と心のどこかで思いながらも、それが愛だと思い込まされていた。
同時にそう思い込んだ方が、楽でもあったのだと今なら思う。

相手に振り回され、相手の求めに応じること、
愛に見せかけた支配について、
愛だと思い込んだあれこれについて、
思い巡らさずにはいられない、
そんな胸が痛い作品だった。

『《世界》がここを忘れても アフガン女性・ファルザーナの物語』

 

パキスタンのアフガン難民キャンプで生まれ育ったファルザーナは、5年前に家族とともにアフガニスタンに戻ってきました。
2020年、理解ある家族の応援もあり、大学二年生となった彼女は、暴力や差別を受けてつらい生活を送っている女性たちを助けたいという思いから、法学を学んでいます。

大学へは幼なじみのナーディヤーと共にバスで。
文字が読めない母の分までと勉学にいそしむナーディヤーは、子どもの頃から優秀でしたが、最近町中でテロが相次いでいることから、心配する両親に学校に通うことを反対される毎日。
このままでは、大学を辞めて結婚をするようにといわれかねないと懸念しているのでした。

そんなある日、ファルザーナの目の前で、乗るはずだったバスが爆破され……


アフガニスタン女性革命協会・RAWAを支援する「RAWAと連帯する会」の共同代表で、長年にわたりアフガンの女性たちと共に活動を続けている著者が、現地の活動を通じて知りあった人々から聞いた話を“ファルザーナ”という一人の女子大学生のストーリーとして再構成して書き上げたという物語。
柔らかなタッチの中に力強さを感じさせる久保田桂子さんの絵とともに構成された、悲しみの中にも、美しさと力強さを兼ね備えた絵本です。

先日レビューをアップしたアフガニスタンの女性作家さんたちの作品を集めた短編集『わたしのペンは鳥の翼』を読みながら思い出して、本棚の奥から引っ張り出してきて再読しました。

本を開くたび、読者の「決して忘れない」という思いを強くする、そんな願いが込められた本です。

 

 

2022年11月の読書

11月の読書メーター
読んだ本の数:19
読んだページ数:5009
ナイス数:486

兎の島兎の島感想
ああこれは、確かに“怖い”。この“恐ろしい”とは別の怖さではないかという気も。この怖さはおそらく、理解できないことがもたらす怖さ。足元がぐらつき、慌てて伸ばした手がつかんだものもまた不安定にゆれて、信じていたものすべてが、消えてしまいそうな不安。そのくせ、読んでいると、物語がもたらす不安にとらわれて、少しの間、現実に目の前にある不安から目をそらすことができる。そんなちょっとやみつきになりそうなヤバい怖さがあった。
読了日:11月30日 著者:エルビラ・ナバロ
わたしのペンは鳥の翼わたしのペンは鳥の翼感想
紛争地域の作家育成プロジェクト〈UNTOLD〉による企画編集で、3年をかけてイギリスとアフガニスタンでやりとりをしながら、「小説を描きたい」という女性たちを広く募り、2022年2月に一冊の本として英国で刊行された18人のアフガニスタンの女性作家たちによる短編集の翻訳版。全部で23篇。短い物語の中に、家父長制、女性嫌悪、貧困、テロ、戦争、死など様々なテーマが描きだされている。異なる社会、異なる環境にあっても、こんな風に共感し、連帯することができるのだと確信する一方で、とりまく環境の違いに言葉を失うことも。
読了日:11月28日 著者:アフガニスタンの女性作家たち
あやかし恋古書店~僕はきみに何度でもめぐり逢う~ (TO文庫)あやかし恋古書店~僕はきみに何度でもめぐり逢う~ (TO文庫)感想
Kindle Unlimited  なんというか、いろんな意味で甘かった。
読了日:11月26日 著者:蒼井紬希
鬼の花嫁二~波乱のかくりよ学園~ (スターツ出版文庫)鬼の花嫁二~波乱のかくりよ学園~ (スターツ出版文庫)感想
Kindle Unlimited なるほどね。確かに一度完結したつもりだった話を更に広げようと思えば、妬みやらライバルやらが必要にはなるよね。なんだかんだの大学生活。この後結構長そうだけれど、続きはいったいどうなるか?あやかし最強のヒーローとくれば、後は神が登場するしかないような気も。三巻以降は読むかどうかは保留かな。
読了日:11月26日 著者:クレハ
波が海のさだめなら波が海のさだめなら感想
希望は翼をもったもの。あなたに翼はありますか? もしも誰かにそう問われたら、あなたはなんと答えますか?
読了日:11月25日 著者:キム・ヨンス
鬼の花嫁~運命の出逢い~ (スターツ出版文庫)鬼の花嫁~運命の出逢い~ (スターツ出版文庫)感想
Kindle Unlimited 読友さんのお気に入り本と聞いて読んでみた。なるほど!ここかしこに王道ポイント(!?)が。なかなか面白かったので、2巻も読んでみようかな。
読了日:11月24日 著者:クレハ
家の本 (エクス・リブリス)家の本 (エクス・リブリス)感想
掌編の積み重ねで構成されているという点では、ラヒリの 『わたしのいるところ』に似ているかもしれない。過去と今とこれからの境がどこか曖昧で、夢と現実にどれほどの違いがあるのか分からなくなりそうなのにとても切ないという点では、 タブッキに似ているのかもしれない。けれどもそのどちらとも、今まで読んだどの物語とも違っている。なにより一つの建物でも土地でも時でもない、「家」という空間で人生を捕らえるというその語り口に驚かされて、私は思わず自分の家の歴史をもふりかえる。不思議な読み心地の本だった。
読了日:11月23日 著者:アンドレア・バイヤーニ
ザ・ナイン ナチスと闘った9人の女たちザ・ナイン ナチスと闘った9人の女たち感想
第二次世界大戦中のフランスで、レジスタンス活動に身を投じた女性たち。密告、拷問、行方不明の夫、刑務所での出産……。愛する夫や生まれたばかりの娘、家族や恋人と引き裂かれた彼女たちだったが、収容所で虐待に耐え、つねに固い友情とユーモアをもち、支え合い励まし合い続けて、生きる希望を失わなかった9人。これは感動の物語だ。だが感動だけで終わらせず、読者の目を様々な「真実」に目を向けさせるべく、用意された枝葉が見事に息づいている優れたノンフィクションでもあった。
読了日:11月21日 著者:グウェン・ストラウス
エミリときどきマーメイドエミリときどきマーメイド感想
#やまねこ本 ママと2人ヨットで暮らすエミリはごくごく普通の中学一年生だった。ある水曜日の午後までは。ところが生まれて初めてプールにはいると入ると……。え?まさか!うそでしょ!?ほんとうに!!かわいらしいイラストもたっぷり。ともだちのこと、かぞくのこと、じぶんじしんのこと、じぶんの居場所。いろんなことをかんがえながら、真実をもとめて冒険にのりだすエミリを思わず応援したくなる!そんな1冊。
読了日:11月19日 著者:リズ・ケスラー
自由論 (光文社古典新訳文庫)自由論 (光文社古典新訳文庫)感想
またもや『やりなおし世界文学』からの派生読書。この本の中で論じるのは、いわゆる意思の自由ではない。市民的な自由、社会的な自由についてであり、逆にいえば、個人に対して社会が正当に行使できる権力の性質、およびその限界を論じたい、とミル。これはアタリだった。あれこれどっさりメモを取った。
読了日:11月17日 著者:ミル
ロシアのなかのソ連: さびしい大国、人と暮らしと戦争とロシアのなかのソ連: さびしい大国、人と暮らしと戦争と感想
これはお勧め!いつ読むの?やっぱり、今でしょ!こんなに読みやすくていいのか!?と思うぐらい読みやすいが、戦況報道だけではわからないロシアの今と、世界のこれからを考える上でも重要な1冊!!
読了日:11月15日 著者:馬場朝子
ぼくはソ連生まれ (群像社ライブラリー)ぼくはソ連生まれ (群像社ライブラリー)感想
ソビエト連邦はもはや存在しないから、かの国を訪問するたった一つの方法は記憶だけだ、と著者はいう。子ども時代のあれこれにノスタルジックな思いを抱く気持ちは万国共通。初めて聞く話や、本でしか読んだことがないはずのあれこれがなぜだかとても懐かしく思えてくる不思議。だが本書に含まれているの郷愁だけではない。原書が出版されたのは2006年だが、昨今のウクライナをめぐるあれこれの根底にあるものを考える上でも参考にかと手にしたこともあって、明るく軽いタッチの筆遣いながらものすごくいろいろなことを考えさせられる本だった。
読了日:11月14日 著者:ヴァシレ・エルヌ
統一協会の何が問題か:人を隷属させる伝道手法の実態統一協会の何が問題か:人を隷属させる伝道手法の実態感想
花伝社が「統一協会」問題でブックレットを出した。執筆者が全国霊感商法対策弁護士連合会代表世話人でもある札幌の弁護士郷路征記氏だと聞いて早速読んでみた。とりわけ、第1章の講演録は、安倍元首相襲撃事件の容疑者の家族を例にとって、詳細に解説しているという点で、多くの読者の目を引くであろう内容となっている。長年にわたり、文字通り命も人生もかけて、取り組んできた弁護士活動に、思わず頭がさがった。
読了日:11月12日 著者:郷路 征記
囚われのアマル囚われのアマル感想
舞台はパキスタンパンジャーブ地方の小さな村の比較的豊かな農家の長女アマルは12歳。家の手伝いをし、妹たちの面倒をみながら学校に通っている。勉強が大好きで、大きくなったら教師になりたいと思っていた。けれども、残虐非道の乱暴者と悪名高い大地主の息子ジャワッドとのトラブルをきっかけに、父親の借金のカタに大地主の家の使用人になることに。父さんはすぐに迎えに行くと言ったけれど……。物語の向こうにいるであろう、たくさんのアマルのことを思う。いつかは、そんな時代もあったけれど…と、過去の話になる日がくることを願う。
読了日:11月09日 著者:アイシャ・サイード
終わりの始まり (韓国女性文学シリーズ)終わりの始まり (韓国女性文学シリーズ)感想
ぜひとも追いかけていきたいと思っている書肆侃侃房の韓国女性文学シリーズの最新刊を、書評サイト本が好き!を通じて頂いた。この物語の主な登場人物は三人で、それぞれが交錯しながら、三人三様の春が描かれている。春は別れの季節だなんて、言い出したのは誰だったのか。桜の花が咲き始める。それは確かに終わりの始まりだったかもしれない。だが花が散ったその後に、始まるものも確かにあった。
読了日:11月08日 著者:ソ・ユミ
ノーサンガー・アベイノーサンガー・アベイ感想
『やりなおし世界文学』からの派生で○○年ぶりに再読。正直なところ読む前は、オースティンをやり直すなら他にもっと面白い作品があるのに、と思っていたのだが、読んでみたらこれがなかなか面白かった。オースティン、本当にのりのりで書いたんだな。きっと。
読了日:11月07日 著者:ジェーン オースティン
ペドロの作文ペドロの作文感想
絵本のもつ力を改めて、認識させられる傑作
読了日:11月05日 著者:アントニオ スカルメタ
優等生は探偵に向かない (創元推理文庫 Mシ 17-2)優等生は探偵に向かない (創元推理文庫 Mシ 17-2)感想
これはお勧め!ただし、必ず前作『自由研究には向かない殺人』から順番に読むべし!!続きが待ち遠しい。
読了日:11月03日 著者:ホリー・ジャクソン
小さなことばたちの辞書小さなことばたちの辞書感想
“英語のすべてを記録する”オックスフォード英語大辞典(OED)の編纂事業という歴史的な事実を軸に、辞典に採録されなかったことばを拾い集め記録したという、架空の女性の一生を描いた物語。平行して語られるのは、女性の参政権、女性の社会的身分、第一次世界大戦。本編約500ページに著者のあとがき、訳者のあとがき、どこも読み飛ばすことができないぎっしりと中身の詰まった1冊。
読了日:11月01日 著者:ピップ・ウィリアムズ

読書メーター

『兎の島』

 

正直、怖い話は苦手だが、
箱から出すと紫をバックに金色の兎が浮かび上がるこの美しい装丁の前を
素通りすることができなかった。

“スパニッシュ・ホラー”の短編集だと聞いていたので
短い話なら、怖さもさほど後を引かないだろうと思ったのも事実だ。

だがしかし……。

これはなんと言えばいいのか。
“怖い”というよりも
“不気味”とか“不穏”とかいう言葉の方が
ぴったりくる気もする物語たちは、
予想に反して、めちゃくちゃ後を引く。

小さな島で繁殖しやがて共食いを始める兎、
小山羊ではなさそうな奇妙な肉、
真夜中に教会の丸屋根を歩く男、
他人の夢を見る女、
病死した母からきたフェイスブックの友だち申請
旅先で腫れ上がった彼の歯茎がまるで……

うわー、それで?それから?どうなるのー!?と、
叫んで、頭をかきむしろうとも、答えはどこにも書いていなくて、
耳から生えだしたという肢の、
生え際はいったいどんな風になっているのかなどと
妙なことが気になり出してなかなか寝付けない。

ああこれは、確かに“怖い”。
これは“恐ろしい”とは別の怖さではないかという気も。

この怖さはおそらく、理解できないことがもたらす怖さ。
足元がぐらつき、慌てて伸ばした手がつかんだものもまた不安定にゆれて
信じていたものすべてが、消えてしまいそうな不安。

そのくせ、読んでいると、物語がもたらす不安にとらわれて、
少しの間、現実に目の前にある不安から目をそらすことができる。

そんなちょっとやみつきになりそうなヤバい怖さがある。

 

『わたしのペンは鳥の翼』

 

子どもたちは皆、それぞれの家族とともに国外にいて、彼女は一人で暮らしている。
誰かが負傷したり、殺されたりする事件が起きても、犠牲者の中に家族がいるかもしれないと心配する必要はない。
連絡はスカイプで取ることもできる。
けれども、もし自分が死んだとき、気づいてくれる人はいるだろうか……。
巻頭作「話し相手」を読んだとき、もちろんこれは、常に危険とのなりあわせの地で一人暮らしをする高齢の女性の話ではあるのだけれど、その孤独や寂しさは、万国共通であるような気がして親近感を覚えた。


続く「八番目の娘」は、子宝に恵まれながらも、男の子を産むことができなかった女性の話で、跡継ぎ問題に悩まされてきた多くの女たちの記憶を呼び起こす。


金持ちだが文字が読めず、コンピューターの使い方も知らなければ英語も話せない経営者の男の元で、翻訳の仕事に従事する女たち。
彼女たちの才能を安く買いたたくだけでなく、その身体にまで手を伸ばそうとする経営者に抗う女たち。
「共通言語」に登場する女性たちに思わず、エールを送りたくなる。


異なる社会、異なる環境にあっても、こんな風に共感し、連帯することができるのだと確信する一方で、とりまく環境の違いに言葉を失うこともある。


たとえば「防壁の痕跡」はこんな風にはじまる。

 ラナがふたつのコンクリート防壁の陰にいたとき爆発が起きた。その爆発でなにもかもが空中に吹っ飛んだ。舞い上がったラナの身体の半分は、ふたつの防壁のあいだに落下した。ふたつ並んだ防壁のあいだは一メートルもなかった。そこに彼女は、少なくとも彼女の身体の半分は、戻ってきた。もう半分は、空中から戻ってくることはなかった。


けれどもこれは間違いなく、ラナの物語なのだ。


本書は、紛争地域の作家育成プロジェクト〈UNTOLD〉による企画編集で、3年をかけてイギリスとアフガニスタンでやりとりをしながら、「小説を描きたい」という女性たちを広く募り、2022年2月に一冊の本として英国で刊行された18人のアフガニスタンの女性作家たちによる短編集の翻訳版だ。

全部で23篇。
短い物語の中に、家父長制、女性嫌悪、貧困、テロ、戦争、死など様々なテーマが描きだされている。

時々目を閉じる。

ふと、以前読んだ絵本のタイトルを思い出す。
『《世界》がここを忘れても』

 


いいえ、私は、私たちは忘れない。

ふーと息をはく。
呼吸を整えて、本の中へと戻っていく。

彼の地で暮らす人々と、物語を紡いだ作家たちにも想いをはせながら。