かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『1984年に生まれて』

 

1984年に生まれて

1984年に生まれて

 

 ヒューゴー賞を受賞したあの『折りたたみ北京』の作者で、白水社から出た短篇集も読み応えたっぷりだった郝景芳による長編小説がついに翻訳刊行された。
これはもう、なんとしても読まねばならないといそいそと手にしたものの、帯にある「自伝体小説」の言葉にしばし戸惑う。

物事のディティールは服の上に身につける帽子や帯にすぎず、その事柄に対してどう感じるかということこそが服の下に隠された身体そのものなのです。
自伝という形をとったフィクションという意味なのだというこの言葉を、著者はあとがきでこう説明する。

どうやら、その時代、その年齢だった時に自身が感じたことや経験に、別の衣をまとわせて、フィクションとして描くという手法のことらしい。

1984年生まれの著者は、やはり1984年生まれの主人公軽雲という衣をまとって悩み苦しむと同時に、娘が生まれたその年に、人生の大きな分岐点にさしかかった軽雲の父親沈智の物語をも語りあげるのだ。


1984年、天津の工場でエンジニアとして働く沈智は、友人から起業の計画を持ちかけられるも、まもなく子どもが生まれる予定であることもあり、冒険は出来ないと一度は断る。
だが、自分が間もなく30歳になること、毎日同じことを繰り返す日々を過ごしていることにふと気がつき、心を揺るがせるのだった。

2006年、大学卒業を控え進路について悩む軽雲は、父・沈智の暮らすプラハを訪れていた。
留学を躊躇う娘の背中を、父は優しく押すのだが、結局彼女は覚悟を決めることが出来ずに、ごくごく細いコネを頼りに地元の統計局に職を得る。
ところが、毎日同じことを繰り返す日々を過ごすうち、心身のバランスを崩してしまうのだった。

時代に翻弄され家族を置いて国を出る決断をした父と、現代中国で自分の生き方を見失う娘。

もしもあのとき……。
人は誰しも、選ばなかったかったもう一つの人生のことを、頭の片隅で意識しながら、生きていくものなのか……。

いつもどこかに行けばそこで自由が見つかると思っていたという軽雲。
他の人に影響されるのが怖くて、いつもそれから逃げようとして、誰からも影響を受けない場所に逃げようとしてた彼女が苦悩の先にたどり着いた結論とは。


そしてもちろん1984年とあるからには、あのジョージ・オーウェルの 『一九八四年』と切り離して考えることはできない。
あきらかにオーウェル『一九八四年』を意識して書かれたあれこれも読み応えがあり、それがまた架空の物語と現実社会を結びつける重要な鍵にもなっている。

一見するととても内省的な物語であるように思われるのに、実は中国という国の歴史や社会、そこで暮らす人々の生き様を描いていて、さらにはそれは「中国」という衣をまといつつ、人間の普遍的な問題を扱っている壮大な物語なのだと気づかされた。