私が山崎佳代子さんの名前を知ったのは
自身をユーゴスラビアの作家と定義づけていた
ダニロ・キシュの翻訳者としてで、
もちろん、その翻訳作品を通じて
美しい言葉の紬手であることは知っていたが
随分長いこと彼女自身が詩人であることには気づかなかった。
山崎さんは1979年に留学生としてサラエボに渡った。
その頃はもちろん、チトーが存命していて、
東欧にはユーゴスラビアという大国が存在していた。
けれどもボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(1992年~)、
コソボ紛争(1996年~)、
さらにはセルビアの“民族浄化政策を阻止する”という名目で始まった
NATOのユーゴ空爆(1999年3月~)がおき
彼女が移り住んでいたベオグラードでも深刻な状況が続いた。
そんななかでも
山崎さんは彼の地にとどまり、言葉を紡ぐことをやめなかった。
この本には、1991年から2003年にかけて書かれた文章が収められている。
何のために、私たちは異国の言葉を勉強しているのだろうか。人と人が出会い、わかりあうためではなかったのか。戦争とは、地球のゆがんだ時代精神の反映だ、と思った。一国では戦争は起きない。世界が、内戦という兄弟殺しを強いられた人々の精神の地獄を正視しない限り、戦火は止まない、と思った。閉ざされていく国で、遙かな国の言葉を学び続けるほかに、なかった。(p43)
と、彼女は書き記している。
戦火が激しくなる中、見聞きしたこと、自らが体験したことを丁寧に綴っていく。
たとえば
水は、近くの井戸に汲みに行かなければならない。だが、それには危険がともなった。「その日は、父の誕生日でした。何を贈ろうか。戦争です。そうだ、と私は思いました。バケツに一杯、井戸の水を汲み、それを父に贈りました。父は、泣きました…」(p97)
と、教え子から聞いた話を紹介する。
現状を実際に見て貰おうと案内した客人と
そこで暮らす人との会話はこんな風に描かれている。
日本の友人が、この町のどの景色が好きかと尋ねたら、この川の景色だと答えた。レストランは、町に背を向けるようにして、岸辺に建っている。
「だって、川には壊されたものが見えないから、水と植物だけだから…」と。底冷えがする。
帰りの道は暗く、町は闇に沈み、あの廃墟は見えなかった。友人たちも、なにも言わなかった。それぞれが、それぞれの世界にかえり、何かを考えていた。それぞれが、どこか同じことを……。(p101)
この美しいエッセイ集から、どの個所を抜き出して紹介しようかと、
行きつ戻りつして何度もページをめくったが
あそこもここもと思うばかりで
この素晴らしさを伝えきれないもどかしさばかりが募る。
ふと、留学したての頃、彼女が教えて貰ったという言葉が目に留まった。
「ラショモニアーダという言葉を知っていますか。日本語起源の外来語、誰もが自分自身の真実をもっている。黒澤明の『羅生門』、実に素晴らしい映画だ。登場人物は、それぞれに異なった告白をする。それぞれに自分自身の真実がある。これは深い真理でしょう」(p22)
誰もが自分自身の真実を持っている。
あなたも私も。
この国もあの国も……。
知っているつもりになっていたあれこれが
本当は全く別の側面をもっているということを
認識することから始めなければならないとしたら
世界に紛争が無くなることは
永遠にないのかもしれないと
焦燥感にも似た思いがわきあがる。
それでも
紡がれた言葉を繰り返しかみしめながら
過去と今と未来とを見つめ続けることを
やめるわけにはいかない。
(2017年01月31日 本が好き!投稿)