かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『オリオンと林檎』

 

書肆侃侃房の「韓国文学の源流 短編選」は、古典作品から現代まで、その時代を代表する短篇の名作をセレクトする全10巻刊行予定のシリーズだ。
本書にはシリーズでいうところの第2期、1930年代(1932年~1938年)の作品、8篇が収録されている。

日本が国際連盟を脱退し、盧溝橋事件がおきて……という時代のことでもあるし、人々の暮らしぶりや、日本に対する感情がどう描かれているのか、そもそもそういうことを描くことが許されているのかも含めて、興味があった。

巻頭作、朴花城「下水道工事」は、1932年に書かれた作品だというのだが、これがすごい。まさしくプロレタリア文学
小林多喜二が殺された前の年に、下水道工事を巡り、日本人請負業者の賃金未払に怒りを爆発させる労働者たちの抵抗運動を描いた女性作家がいるとは。
いやはやまったくすごすぎる。

2番目に登場するのは表題作「オリオンと林檎」
百貨店に勤める日本人女性ナオミと、彼女が参加する研究会の指導的立場にある朝鮮人男性“私”との恋の駆け引き。
ドイツ語の翻訳と照らし合わせながら読み、討論を薦める難解な文学『××××』、ローザといえばローザ・ルクセンブルクで、たびたび会話に登場するのは“プロレタリア”というのだから、どんな研究会かは想像に難くないが、ナオミがかじる林檎はやはり禁断の果実でイブの象徴だ。
理想と欲望の間でゆれる男を描くわずか10ページほどの短篇は、なかなか印象的ではある。
巻末の作者紹介で作者の李孝石が傾向文学、同伴作家と評された時期を経て、その後、純文学に傾倒していったとあって、なるほどと妙に納得してしまった。

山間の村に流れ着き、住み込みで働くことになった若い女性を、彼女を助けた女将は息子の嫁にと望むのだったが…。金裕貞の「山あいの旅人」や、貧困から抜け出せない農民たちが、賭け事で同じ農民仲間のわずかな財産を奪い合う様を描いた李箕永の「鼠火」は、人々の貧しさを赤裸々に綴る。

干ばつと重税にあえぐ小作農たちと、村でただ一人様々な優遇を受けて羽振りのいい自作農青年の間の軋轢を描く朴栄濬の「模範耕作生」
だがしかし裕福に見える自作農もまた、綱渡りをしているのだ。

赤字続きのカフェ芳蘭荘を営む画家の日々を描いた朴泰遠「芳蘭荘の主」は、8ページほどの作品なのだが、1度も改行がないどころか、句点すらない独特の文体で、(え?そこで終るの!?)という終わり方。これはもう、続きが気になる。

体を壊して働けなくなった父と、家計を支えるために港で酒売りをして稼ぐ母、諍いと絶望が溢れる家で成長する少年。玄徳の「草亀」もまた、読み手に胸の痛みを感じさせる作品だ。

ラストを飾る李泰俊「浿江冷」では、十数年ぶりに平壌を訪れた作家が、二人の旧友と会食をする。
一人は朝鮮総督府の協力機関である府会の議員に収まっている羽振りの良い実業家、もう一人は朝鮮語と漢文を教える教師だが、授業時間が大幅に削られ、専任から非常勤講師になることを求められているという。
こうした状況で、久々に顔を合わせた三人の会話が弾むはずもなく、作家は憤りを隠すことが出来ない。
1938年に、こうした作品を書いていた作家のその後が気になったが、巻末の作家紹介によると越北後「1956年に粛正されてからの行方は定かでない。」とあって、さらに衝撃をうける。

朝鮮半島文学史にはまだ、埋めることのできない空白があるということか。
いつか、消息が知れなかった作家たちのその後や、公にされてこなかった作品を目にすることできる日が来るのだろうか。来ると良いなとも思う。

植民地時代の朝鮮半島を舞台に、労働運動、貧困、恋愛等が描かれている8つの作品の中には、日本人と思われる女性や、肺を病んで東京から一時帰国している青年なども登場する。

時代が時代だけに、朝鮮半島を巡る社会情勢や、同時代の日本文学の動向なども気になると思っていたところ、巻末に年表がついていて、非常に参考になった。
欲を言えば日本文学の欄をもう少し充実させてもらえると、いろいろ読み比べもできそうな気がするのだけれど、そこはもう、読み手が自分の興味関心に応じて付け足していくべきものなのかもしれない。