かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『アメリカーナ』

 

『半分のぼった黄色い太陽』で1960年代のナイジェリアの戦乱の中で生きる人々を見事に描き出したチママンダ・ンゴズィ・アディーチェが挑んだ最新作は、現代物でありながら、ナイジェリア人のカップルを主人公にしてナイジェリアとアメリカ、そしてイギリスを舞台に繰り広げられる“弁解の余地のないオールドファッションなラブストーリー”だという。

二段組で520ページを越える長編を前に、これはきっとラブストーリーの背景に、社会性のある一筋縄ではいかないあれこれが微細に書き込まれているに違いないと覚悟を決めて読み始める。

物語はナイジェリア人女性イフェメルが髪を編んで貰うためにアメリカ・プリンストンから列車に乗ってヘアサロンに向かう場面で幕を開ける。
彼女がアメリカに渡ったのは13年前。
それからいろいろなことがあったけれど、多くの移民の中で彼女は間違いなく成功者だった。
けれどもイフェメルは、仕事もマンションも手放して、ナイジェリアへ帰国しようと考えていた。
高校時代に出会い熱烈な恋に落ちた初恋の相手、今はもう結婚し一児の父となっているというオビンゼのいるナイジェリアに。

そうして物語は過去にさかのぼり、二人の出会いと思い出の数々を描き出す。
二人は同じ大学に進学するが、給料が支払われないことに抗議する教員達のストライキが続き、なかなか講義が開かれない。
そんな中イフェメルがアメリカに住む叔母を頼って留学することになる。
アメリカはイフェメルではなくオビンゼの憧れの地で、彼も時期が来ればいずれ渡米するつもりだったのだ。

けれどもそこから二人の歯車が狂いはじめる。
アメリカへ来てイフェメルは生まれて初めて、自分が“黒人である”ことを知る。
彼女を待っていたのは、様々な理由で「色分け」されたそれまで想像すらしたことのない社会だったのだ。

青春時代の甘い思い出と、恋人達がすれ違っていく様を描く前半は、ひたすら胸キュン物語で、思わずユーミンの「リフレインが叫んでる」が口をついて出てしまう。
読み手の思い出まで引きずり出す破壊力だ。

ところが中盤、イフェメルが苦悩の日々からなんとか抜け出して、持ち前の鋭い観察眼を最大限に活かしたブログをはじめるようになると、読み手の胸の痛みは、以前とは全く違ったものになっていく。

人種問題を扱う先鋭的な内容で注目をあつめ、後に彼女の経済的自立を支える糧ともなっていくブログ「人種の歯、あるいは非アメリカ黒人によるアメリカ黒人(以前はニグロとして知られた人たち)についてのさまざまな考察」は、その内容やそれにまつわる周囲とのやりとりなど、展開される指摘や告発の鋭さに思わず息をのむほどのものがあり、読み手は自分の甘さや鈍さを思い知らされることになったのだ。

一方でオビンゼは、ヴィザをとることができずにアメリカ留学をあきらめイギリスに渡るのだが、結果大きな挫折を味わうことになる。
こちらのイギリス移民事情も深刻だ。

長い年月を経て再会する二人を待っていた運命は………。

あんなに想いあっていたというのに、やはり初恋は実らないものなのか、それとも……という二人の熱く切ないラブストーリーもさることながら、この長編全体を貫く人種差別問題や著者の研ぎ澄まされたジェンダー観に目を見張り、何日もかかりきりで読みふけった。

全米批評家協会賞を受賞し、欧米でも話題になっているというこの作品、おそらく“自分は決してレイシストではない”と信じる“リベラル”な人の心にほど、鋭く突き刺さるものがあるはずだ。

そしてまたおそらくアメリカやイギリスでこの本を手にし読みふける人たちの中には、自分は偏見など持ち合わせてはいないと信じている人たちも多いに違いない。
だからこそ欧米で暮らす人びとがこの物語をどう受け止めたのか、その辺のところも非常に気になる作品でもある。

この本について、語りたいことはまだまだ沢山あるけれど、とても語り尽くせない気もしている。

物語の結末にはいろいろ思うところがなくもないが、それを差し引いても、いずれまた繰り返しページをめくることになるだろうと思わせる1冊だった。

            (2016年12月05日 本が好き!投稿