かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『ぼくはソ連生まれ』

 

1971年生まれの著者は、ソ連(現在のモルドバ共和国)で少年時代を過ごし、ルーマニアの大学を卒業後、同地で出版関係の仕事につき、2006年に本書で作家デビューした。

 ぼくがしようとしているのは、ソビエト文化と文明の比喩のようなソビエト連邦の日々の生活を掘り起こす、ある種の考古学だ。「異端的」な手法で書かれた文章によって、英雄、状況、思い出、モノ、キーワードなどの各テーマを一つのパズルにまとめようとしている。各章は個別に読めるけれど、全体はパズルのピースとピースをただ積み上げただけには見えないはずだ。このパズルの組み合わせには、徹底的で客観的な、そして正確なソビエト文化の姿を作り上げようとする奢りはない。これは主観的で個人的な発掘作業で、ただ、ある文化特有の輪郭、精神、考え方、話し方を示して、ソビエト文化のメンタリティーを描いてみたいだけだ。この考古学は理解の鍵や、道徳的な、あるいは価値的な判断を提案せず、ただ、ソビエト連邦とは何だったのか、そしてその不在は何を意味するのかについてもっとわかってもらえるように、親しんでもらおうとするだけのものだ。


本書の冒頭「前書きにかえて」の中で著者はこう述べている。

ソビエト連邦はもはや存在しないから、かの国を訪問するたった一つの方法は記憶だけだ、と著者はいう。

その言葉どおりに、ジーンズへのあこがれ、夏のキャンプ、トイレのこと、英雄のこと、小説の話、ソビエトの小話、品不足の象徴だった行列のことなど、日々の生活の記憶を掘り起こしたエッセイが次々と繰り出され、それらのピースをつなぎ合わせていくと、<ぼくたち>の暮らぶりが鮮やかに浮かび上がってくる。

今はもう手が届かない子ども時代のあれこれに、ノスタルジックな思いを抱く気持ちは万国共通といえるのか。
初めて聞く話や、本でしか読んだことがないはずのあれこれがなぜだかとても懐かしく思えてくる不思議。

だが本書に含まれているのは決して郷愁だけではない。

プラトーノフの『チェヴェングール』と 『土台穴』グロスマンの『人生と運命』にブルガーコフ『巨匠とマルガリータ』パステルナークの『ドクトル・ジバゴ』を一つの文章の中に並べるほど文学青年だった著者が語るあれこれの中にはもちろん、スターリンの、フルシチョフの、ゴルバチョフの…それぞれの時代への批判も含まれている。

その上でなお、「ソビエト的人間」とはどのようなものか。
その生活、生き方、考え方、信条の持ち方。
どのように育まれ、どのように生き、そして今、どうしているのかをも語り上げる。

訳者あとがきによれば、本書は刊行後、ルーマニア国内では様々な反響をよび、複数の賞にノミネートされ、ルーマニアで最も権威があると言われルーマニア作家協会が発行する文芸誌『ルーマニア文学』の新人賞をも受賞したのだそう。
その一方で、共産主義時代の負の側面を取り上げずにノスタルジーに浸り、当時の事実をいたずらに歪曲しているなどと非難や批判にもさらされたともいう。

原書が出版されたのは2006年ではあるが、昨今のウクライナをめぐるあれこれの根底にあるものを考える上でも一つの参考になるのではと思いつつ手にしたこともあって、明るく軽いタッチの筆遣いながら、ものすごくいろいろなことを考えさせられる本だった。