かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『ベイルート961時間(とそれに伴う321皿の料理)』

 

ベイルートについて1冊の本を書く”という条件付きの、ベイルート国際作家協会が運営するライター・イン・レジデンスの招聘を受けた著者が、2018年4月~5月にかけて約1ヶ月半、961時間のベイルート滞在を基に書き上げた本。
フランス語で執筆され、フランスで出版された本を、著者自ら日本語に翻訳したのだという。

著者はこれを“料理の本”だというのだが、カヴァーを飾る写真以外に写真やイラストは一切無く、材料や分量を紹介するようなレシピもない。
それでも確かに、読んでいると料理というものについて、深く考えさせられる本ではある。

そもそも私は、著者のことはフランス語の翻訳家として認識していたので、なぜベイルートの、なぜ作家協会がと少々不思議に思っていたのだが、そうした経緯については、本書の冒頭に、2020年のベイルート港爆発事故後のあれこれと共に丁寧に語られている。著者が学生時代から「オリエント」と深い関わりをもってきたことを知って、なるほどそういう著者だからこそ、アフガニスタンの作家の作品の翻訳を手がけたりもしてきたのだろうと合点もした。

レバノンの国旗の色は、白、緑、赤。
これは“タマネギパセリトマト、つまりタブレの色だよ!”と陽気に言われて思わず笑う。
美味しい料理の話はいつだって、思わず笑顔を誘うもの。

もっとも、この料理の本は、ただ美味しそうなだけではない。

 彼らは、自分たちの間では戦争の話はしないと言うが、わたしに食べものの思い出を話し始めると、必ずと言っていいほど、戦争に関連する、心を打つエピソードが現れる。
 おそらく、料理というテーマは、一見深刻でないように思われるからこそ、語り手の思いがけない記憶を引き出すのかもしれない。例えば、「戦争時代の話をしてくれますか」と尋ねた場合にはでてこない話が。(P106)



その言葉通り、料理の話題がごく自然に、亡命者や避難民を生み出した戦争や政治の話へとつながっていくこともある。

レバノンには大勢のシリア人やフィリピン人がいるが、シリア料理、フィリピン料理、エチオピアスリランカの料理を食べさせる店はない。

もしこの現象が、食文化が比較的貧しい国で起こっているとしたら、料理に対して全般的に関心が薄い土地なのだと考えることができる。不思議なのは、レバノンの料理文化が洗練され、食材も豊富で、レバノン人自身も食べることが好きなのに、これほどの感性と要求度の高さを保ちながら、どうして、同じ街、または自分の家に住み込みで働いている人たちの料理を味わってみようという好奇心をもたないのだろうか、ということなのだ。(p168)

こんな風に街で見かけた人々や、見かけなかった料理から、移民や外国人労働者が話題に上ることも。
著者はレバノンにおける、隣国や移民料理の不在の理由を問うが、納得できる答えは得られていないという。

物事を先延ばしにすることは、世界は明日も変わらずに存在するだろうと考えることができる社会の特権的行為なのだ。あるかどうかわからない明日のために物事を取っておくことはできない。ためらうことの贅沢。(p199)



著者がこの本を執筆したのは、あのベイルート港爆発事故の前だったはずなのに、あれこれと思い巡らさずにはいられない言葉の数々も。

細かい章立てで連想風に連なっていく文章を味わいながら、料理も言葉も人と人をつなぎ、人を介して広がっていくものなのだと改めて思う。

そうそう、忘れないようにメモしておこう。
ブドウの若芽を天ぷらにする!これはぜひともやってみたい!
春になったら、ベイルートに想いをはせながら!