かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『優しい地獄』

 

1984年、社会主義政権下のルーマニアに生まれた著者は、混乱したポスト社会主義の中で少女時代を過ごす。
2006年に日本に留学。一旦帰国した後、2009年に国費留学生として再来日。
弘前大学大学院修士課程修了後、東京大学大学院博士課程に入学。
専攻は映像人類学で、現在は青森県で北東北の獅子舞や女性の身体をテーマに研究を続けているという。
本書はそんな著者が日本語で執筆したエッセイ集だ。

そう聞けば読者としては、「ルーマニアからなぜ日本に?」と思ってしまうわけだが、本書の中にこんなくだりがある。

「日本に何で来た」と聞かれ続ける。来てほしくなかったのか?これは私が日本を褒めなければならないという問題ではないと最近気づいたので、あまり長い答えをしなくなった。答えはシンプルに、「遠くへ行きたかったから」。誰にでもこの想いがあり、共感するのではないかと思うからだ。


同時にこんなエピソードも紹介されていたりする。

ルーマニアの村で、さびしく一夏をかけて本をたくさん読んでいた私は『雪国』という1冊に出会った。本の最初のイメージに惚れた。トンネルを抜けた列車の雰囲気。感覚で感じたものは、それまでの人生で一番確かだった。ルーマニア語に翻訳されていたにもかかわらず、なぜか私はそれを日本語で読んだ気がした。



なんといっても印象的なのは、幼年時代の思い出。
繰り返し語られるルーマニアの田舎の村の祖父母の家の様子は、家の周りに植えられた果樹や草花、近くに広がる深い森と共に、映像として読者の目にも浮かんでくるようで、読んでいるだけで、縁もゆかりもないはずのその家になんだかとても帰りたくなってくる。

映画監督を志し、大学受験に挑んだエピソードを、読みながら思わず歯ぎしりし、大病を患って手術を余儀なくされるくだりでは衝撃をうける。

私が手術を受けた時に彼はそばにいなかった。手術後に病院に来た彼の目を見て、はじめて愛とはある種の共感だとわかった。不思議なことに次は彼の脳腫瘍が見つかった。こうして二人はもっと深いところでつながった。彼の母親は私のせいだと言った。私から腫瘍が彼にうつったと酷く差別された。それがほんとうなら、私はそこまで彼に愛されたことになる。身体の細胞が交換されるぐらいの愛があるのか。でも違う。酷く痛んでいる二人の身体は、私たちがチェルノブイリの子供だったからだ。


そう、著者はまさにチェルノブイリの子供世代。
田舎の村で祖父母の育てたあの美味しい野菜や果物たちは、黒い雨を浴びていたのだ。

著者の、その両親の、祖父母の、様々なエピドーソから浮かび上がる、社会主義国だった頃のルーマニアやその後資本主義に移行してからの混乱期のあれこれも興味深い。

そしてまた日本への留学や、思わず微笑み、感嘆せずにはいられない著者と二人の娘たちのエピソードの数々も。

せつなくて、痛々しくて、懐かしくて、美しくて、まるで血を流しているかのように生々しくて、どうしてこんなにせまってくるのだろうと思っていたら、最後の最後、著者紹介の欄で「オートエスノグラフィー」という言葉に出会う。

対象の日常的な行動を詳細に記述する質的調査方法をさす「エスノグラフィー」という言葉なら社会学や心理学の分野である程度なじみがあるが、これに「オート」がつくということは…。

ああそうか、著者は自身の経験を詳細に書き起こすことで、自分自身をも研究対象にしているんだと思い当たる。

そうして、読者である私もまた、著者の記憶の中に入り込んで、私の目でその記憶を見つめ直す。