かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『女たちの沈黙』

 

10年にわたったトロイア戦争の最後の年。
トロイアの近隣都市リュルネソスが、ギリシア連合軍によって滅ぼされた。
目の前で夫や弟たちや同胞を殺されたリュルネソスの王妃ブリセイスは、囚われて奴隷となる。
彼女の主となったのは、まさに彼女の目の前で虐殺劇を繰り広げた、ギリシア軍の英雄アキレウスだった。

予想に反してアキレウスは床の中では残忍では無かったが、ブリセイスは最初の晩、自分の中のなにかが死んだことに気づく。
すさまじく過酷で恐怖に満たされた最初の数日をなんとかやり過ごし、これからは自分と同じように「戦利品」として囚われた他の女たちと共に、新たな日常を築いていくのだと考えていた矢先、ことは起こった。

ギリシア軍の総大将アガメムノンが、アキレウスに思い知らせるために、ブリセイスを無理やり自分のものにしてしまったのだ。

怒ったアキレウスは、戦線を離脱して……。

もう、おわかりだろう。

物語の基礎となっているのはあの『イリアス』の物語。

だがしかし、これまで語られてきたどの物語とも違うのはこれが、アキレウスを褒め称える英雄譚でも、滅び行くトロイアを嘆く悲劇でも、丁々発止とやりあう神々の物語でもなく、自分でなにか行動を起こしたわけでもないのに、高貴な身分から一転敵方の奴隷となり、さらにはギリシア軍内の対立の元凶であるかのように扱われ……これ以上酷いことなど起きないだろうと思うたびに、さらなる不幸に見舞われ続けるブリセイスを主な語り手としている点だ。

原題は“The Silence of The Girls”
英国で40万部を超えるベストセラーとなり、英ガーディアン紙による<21世紀に書かれた最良の本の1冊>にも選出されたというこの本。

闘うことも抗うことも許されなかった女たちの目に映る、争い死んでいく男たちの物語は、同時に、嘆き悲しみながらもしたたかに生きていく女たちの物語でもある。

だがそれは、3000年の時を経て、やっとの思いで沈黙を破り声を上げた女たちの物語というよりは、長い間ずっと上げ続けられてきた女たちの声に、ようやく社会が耳を傾け始めた…ということなのかもしれない。