かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『明るい夜』

 

心というものが取り外しのできる体内の臓器だったなら、胸の中に手を入れて取り出し、温かいお湯で洗ってあげたかった。そして隅々まですすいで水分をタオルで拭き取り、日当たりと風通しのいい場所に干したかった。その間は心を持たない人間として生きる。よく乾いたら、柔らかくて良い匂いのする心をまた胸にしまって新たなスタートを切れるだろう。時々そんな想像をしたりした。


その求人情報を目にしたのは、夫の不倫が原因で離婚してから1か月ほど経った頃だった。
ソウルから車で5時間ほどのところにある海辺の小さな町ヒリョンの天文台研究員に採用された31歳の私(=ジヨン)は、ソウルでの生活を整理して、小さな車に家財道具を詰め込んでその町に移り住む。

前にヒリョンを訪れたのは、彼女が9歳の時だった。
母方の祖母の家に預けられて10日間ほど過ごした日々の楽しかった思い出。
けれどもその時以来、一度もこの町を訪れたことはなかったし、祖母とも会っていなかった。

心のどこかで祖母との再会を望んでいたのだとしても、転居後、ジヨンは積極的に祖母を探しはしなかった。

偶然の再会。
手探りで距離を測りながらのぎこちない会話。

両親のどちらともあまり似ていないのだというジヨンに、祖母は古いアルバムを取り出して見せる。
「見てごらん」「あんただよって言っても、みんな信じそう」そういって祖母が指し示した写真の中の女性は、祖母の母、ジヨンの曾祖母だった。

根強い身分差別、家父長制、植民地支配、朝鮮戦争
時代と世間に翻弄されながらも、必死に生き抜いた曾祖母と祖母の物語は、やがて祖母と不仲なジヨンの母とその母にわだかまりを抱えたジヨン自身へと繋がっていく。

朝鮮近代史を背景にした4世代にわたる家族の物語だ。
愛と友情の物語でもある。
疲れ果て傷ついた女たちの傷を癒やす物語でもあり、母娘の再生の物語でもある。

以前、『わたしに無害なひと』を読んだ時にも感じたことだが、チェ・ウニョンさんの作品にはあちこちに心に残るセンテンスがあって、そうした言葉に出くわすたびに、思わず書き写しておきたくなるのだけれど、今回は先行きが気になって、途中で頁をめくる手を止めることができず一気に読んだ。

読み応えのあるすごい物語だったと、本を閉じじっくり余韻に浸るつもりで目をつぶった瞬間に、幼い日、縁側に座って祖母の昔語りに耳を傾けた記憶が、まるで録画の再生ボタンでも押したかのように突然頭の中になだれ込んできた。

そういえば、私の祖母もまた、幼年期をその母と祖母と女ばかりの家で暮らした人だった。
幼い頃の記憶と共に、いまではもうすっかりぼやけてしまった祖母から聞いたあれこれを、語って聞かせる相手がいないことを少し残念に思いつつ、物語の中でジヨンがおばあちゃんの話に、熱心に耳を傾けて、真摯に受け止めてくれたことを改めてうれしく思うのだった。