かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『源氏物語』

 

国士舘短期大学助教授、東洋大学助教授、東京大学文学部教授、東京女子大学教授、駒沢女子大学教授、紫式部学会会長などを歴任した1924年生まれの著者が1968年、東大助教時代に刊行したという少々古い本ではあるが、Kindle Unlimitedで読むことが出来るというので、軽い気持ちで読み始めた。

自身の「読み方」を強力に打ち出すのではなく、様々な学説を紹介しつつ、「源氏物語」本編とその周辺を掘り下げていく形の筆運び。
“当時の読者は光源氏のモデルとして誰を思い浮かべたか”とか、“「帚木」当時の光源氏が17歳と推定される根拠”などという話あたりまでは、ふむふむと読み流していたのだが、いわゆる「成立論」をとりあげる辺りから、がっつり前のめりに。

「帚木」が「桐壺」を受けていないことから、「帚木」が書かれたときには「桐壺」はまだ存在していなかったのではないかという説、
さらに進めて「帚木」以前にすでに光源氏について多くのことが書かれていたか、あるいは「恋の英雄である源氏」の物語が伝説として存在していたのではないかという説、
「帚木」「空蝉」「夕顔」のいわゆる帚木三帖がまず完結した物語として書かれたとする説、
「桐壺」の後に失われた物語があったとする説等、様々な学説を紹介。

中でも多くの行をさいているのは、当時の学会に大きな波紋を投じたという武田説。

「帚木」「空蝉」「夕顔」には“藤壺”への強烈な恋慕が影を落としていないことなど「桐壺」との断絶があるのではないか。
源氏物語の第一部(光源氏の将来についての予言がほぼ完全に実現するまでの部分、すなわち33帖藤裏葉まで)は、紫上系の17帖と玉鬘系の16帖のに系列に分けることができる。
これによれば紫上系(桐壺/若紫/紅葉賀/花宴/葵/賢木/花散里/須磨/明石/澪標/絵合/松風/薄雲/朝顔/少女/梅枝/藤裏葉)の物語は玉鬘系の物語とは独立していて、第一部から玉鬘系16帖を除いても一つの物語として読むことが出来るとも。

というわけで、試しに紫上系だけを拾って読んでみると……
うわーこれは、なんというか、より強烈なるよね!あの女性の影が!!


読み応えがあったのは、いわゆる第二部「若菜」の読み解き方と、そこから続く光源氏的世界の終焉。
この辺りは本編をもう一度じっくり読み返してみる必要がありそうだ。

気になったのは、紫式部の晩年。
中宮彰子は夫の葬送後、皇太后となったが、式部は変わらず側近の渉外担当。
道長の立場にあった藤原実資と父の強引な権威主義に強く反発していた彰子の仲立ちをしたのが式部で、これにより道長の怒りにふれて、女房を罷免されたという説があるのだとか。

紫式部道長の関係で言うと、式部を道長の妻とする古くからある一説と、それを否定する説も。
道長は皇太后中宮、皇子女の元に出入りする者をチェックするために要所要所に妾妻を配し、情報網を張りめぐらせた。その一人が紫式部だったという説もあるとか。

紫式部の生没年は定かではないそうだが、「望月」を歌った道長の栄花の到達点を見ずに没したとも考えられるそう。
栄華を極めた光源氏のその後のあれこれは、決して道長とその一族のその後を暗示したわけではなかろうが、上り詰めたら後は下るしかなく、満月はやがて欠けていくというのは当然のことだったのか。

源氏物語』が「藤裏葉」で終わらなかったことの意味をまた考えたりもした。