かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『紫式部ひとり語り』

 

平安文学の研究者として知られる著者が「冒険的な推測」のもとに書いたというこの本には、『源氏物語』の作者紫式部の生涯が、その日記(『紫式部日記』)と家集(『紫式部集』)を軸に、『御堂関白日記』『権記』『小右記』『栄花物語』『枕草子』『和泉式部日記』なども参照しながら、紫式部本人の回想という形で記されている。

実を言うと私は以前、『紫式部日記』に手を伸ばしたものの、その上から目線が鼻について途中で投げ出してしまったことがある。
そんなこわけで少々警戒しながら読み始めたのだったが、読み始めると面白くて、語りの元ネタとして引用されるあの古典、この古典と、ますます読みたい本が増えてしまったりもした。

たとえば、紫式部集にある
   桃の花を見やりて
 折りて見ば 近まさりせよ 桃の花 思ひぐまなき 桜惜しまじ 

という歌は、後に夫となる藤原宣孝におくった歌で、
宣孝はこれに
ももといふ 名もあるものを 時の間に 散る桜には思ひおとさじ
と返したという。 (『紫式部集36・37番』)

愛を語るこの2首は恋人たちの恋愛事情と意訳とともに紹介されていて、まあ上手いこと読むわね…と納得するところなのだが、面白いのは恋人である宣孝がそこまでわかってくれたかどうかは定かではないがといいつつ、この「桃の花」を歌った式部の頭には白居易の「晩桃花」という漢詩があったという語りだ。
一見さらっと読み流してしまいそうな恋歌の下地に、こんなものが隠されているとはびっくりだ。

歌も物語も、表に現れている言葉とその意味だけ味わってなるほどなあと満足してしまいがちで(それはそれで楽しければいいのではないかともおもいはするものの)、より深く味わうためには、その裏に隠されている意味を読み取るその技量が、読み手にも求められているのだろうと思わせられる。
と同時に、場面によっては、そんな含みを持たせたつもりはなかったのにと、作者が読み手に誤解される危険も含んでいるのかもしれない。

紫式部日記』には中宮彰子の出産記録としてかかれた表バージョン的な「日記」の部分と、ゆくゆくは女房になるであろう一人娘のためにしたためた裏バージョン「消息体」があったという話や、清少納言についてのあれこれ、道長和泉式部清少納言にまで色恋をしかけるような歌を贈っていることや、そうした歌を贈られたときどのようにあしらうことができるかがまた、女たちの腕のみせどころであったこと、「女房」や「召人」の立ち位置などの豆知識部分も興味深い。

ぶっちゃけ打ち明け話に目撃談、噂話にあの人この人の人物評とたっぷりの蘊蓄、軽妙な語り口でぐいぐい読ませるひとり語り。

同じ顛末を記していても文献によって違いがある点なども紹介しつつ、紫式部の実像とあれやこれやの真相にせまる語り口にすっかり魅せられてしまった。