かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『もう耳は貸さない』

 

 口が悪いがパンチは弱く、頑固だが体力がない、
山ほど薬を飲むくせにヘビースモーカー。
そんなメンフィス市警殺人課の元刑事バック・ジャッツが
ミステリ小説界に躍り出たのは87歳の時。
『もう年はとれない』でのことだった。

それでなくてもガタがきていた身体に
『もう年はとれない』でおったダメージが響いて
一時期は寝たきりになったバック・ジャッツ88歳(当時)が、
長年連れ添ってきた妻ローズの介助だけではどうにも暮らしていけず
住み慣れた我が家を売って夫婦そろって介護施設に入所したのが
『もう過去はいらない』
ここを終の棲家に大人しく思い出に浸って暮らすようなジャッツでなかったことは
十分に証明されたのだった。

がしかし、身体の自由もきかず、認知症も進んできたジャッツが再び
表舞台に躍り出ることはいくらなんでももう無いだろうと思っていた。


ところが、ところが、なのである。
またもや因縁の対決が!?


問題はかつてシャッツがメンフィス市警殺人課の刑事だった時に手がけた事件にあった。
二人の女性を殺した容疑をかけられた男、チェスター・マーチを捜査中、
バックは不当な圧力を加えられ、
結局、決定的な証拠を得られないまま捜査は打ち切られた。

数年後、別の女性のむごたらしい遺体の前に、
再び容疑者として浮かび上がってきたチェスターを、
今度こそ取り逃がさないようにと、
バックは強引すぎる手法でチェスターの供述を得た。
結果チェスターは3人の女性を殺した罪で死刑判決を受けた。

それからさらに35年後、
チェスターは死刑囚監房から、ラジオ局に手紙を出す。
2ヶ月後に迫った死刑執行を前に
なんとか刑の執行を止めさせようと世論に訴えようというのだった。

チェスターの言い分を取り上げたラジオ番組
アメリカの正義”のプロデューサーワトキンズは、
当時捜査を担当したバック・ジャッツ本人にインタビューをしようと試みる。
あの伝説の刑事がまだ存命だったとは!と意気込むワトキンズは
バック・ジャッツが既に89歳で、
あいかわらず毒舌だとはいえ、歩行器なしには歩けず、
認知症も進んでいるというような状況には全く関心が無いようで、
執拗に連絡をしてくるのだった。


シリーズ3作目ともなれば読者の方も、
おそらくジャッツがかなり“あぶない”やり方で
被疑者の自白を取り付けたに違いないことは容易に想像ができ、
正規のルールに則った捜査ではなかったにもかかわらず、
死刑が執行されても良いものだろうかという疑問も沸いてくる。
けれどもその一方で
この死刑囚チェスター・マーチの所行ときたら
そういった原則論を吹っ飛ばすような非道なサイコパスぶりなのだ。

あるいはチェスターが裕福な家庭に生まれた白人でなかったとしたら、
あるいはバック・ジャッツが、
KKKが幅をきかせる警察組織の中で、
多くの不利益を被らざるを得なかったユダヤ人でなかったとしたら、
“最初”の被害者とされた女性が“黒人の売春婦”でなかったとしたら、
状況はまた変わっていたかもしれないが……。


私は国家が人の命を奪う死刑制度に反対で、
冤罪事件の再審を求める運動に携わったこともあり、
取り調べの可視化は必要だと強く思ってもいる。
そうではあるけれども、
この本を読みながら、動揺せずにはいられなかった。


そうした「死刑」をめぐる問題をはじめ、
「人権」とは「正義」とは、という問いかけはズシンと心に響くが、
同時に、バック・ジャッツと彼の家族の人生と
名実ともにバックとともに歩み、彼を支え続けてきた妻ローズの深刻な病のことなど、
時にユーモアを交えながらもシリアスに描かれていく
あれこれからも目を離すことができない。


いやはやこれは本当に読み応えのある1冊だった。
あるいはもしかすると、
従来のシリーズファンの中には、
期待していたような方向と違っていたなどという理由から、
否定的な感想を持つ方もおられるかもしれないが、
私は今回も完全にジャッツにノックアウトされてしまったのだった。

『もう過去はいらない』

 

もう過去はいらない (創元推理文庫)
 

 バック・ジャッツ88歳。
それでなくてもガタがきていた身体に
前作 『もう年はとれない』でおったダメージが響いて
一時期は寝たきりに。
長年連れ添ってきた妻ローズの介助だけでは
どうにも暮らしてゆけないので
住み慣れた我が家を売って
夫婦そろって介護施設に入所した。

とはいえ、彼のことだ。
周りと上手くやっていこうなどという気はつゆほどもないので
気に入らないことがあれば
利かない身体にもかかわらず、
実力行使も辞さないので相変わらずのトラブル続き。

妻はもちろん施設職員にとっても悩みの種だ。

それでもジャッツ
毎度毎度悪態をつきながらもなんとかこなしてきたリハビリのおかげで
最近ようやく歩行器を使って一人で移動することが可能になった。

そんなとき、彼を訪ねてきたのは御年78歳の稀代の大泥棒イライジャ?!
なんと命を狙われ大ピンチに陥った彼はジャッツに助けを求めに来たという。
昔々、今度会ったら生かしてはおかないと捨て台詞を吐いて
別れた仲だというにもかかわらず?!

物語は手に汗握る逃走劇が繰り広げられる“現代”と
二人の因縁の“過去”が平行して語られていくのだが、
読み進めるうちに
老いに追いつかれまいと必死に闘うジャッツを応援したい気持ちと
どうやら理想主義者だったらしいジャッツの年若い息子が感じたように
無茶で無謀で決して理性的とは言えないジャッツへの嫌悪感にも似た気持ちとが
同時に押し寄せてくる。

世の中に正義はないのか。
人は何に、どうやって、折り合いを付けて生きていけばいいのか。

思わずあれこれ考え込みそうになりかけるそばから、
重傷者や死人が出る血なまぐさいシーンが飛び出したかと思うと
やれ歩行器がたためないとか
抗凝血剤のせいで出血が止らないとか
“高齢者あるある”のドキドキがこちらも同時に押し寄せてきて
まったくもって心臓に悪いことこの上ない。

それでもページをめくる手が止められず
読みおえたばかりだというのに
既に刊行が決まっているという次作も、次々作もきっと必ず読むだろうと思っている。

               (2015年09月09日 本が好き!投稿

『もう年はとれない』

 

 今でこそ、すっかり有名人になってしまったバック・ジャッツだが、しばらく前まで“知る人ぞ知る”存在だった。
そして知っている人とといえば、家族とユダヤ人コミュニティの面々、警察の連中と、ある一定の年齢層だけ……しかもこの一定の年齢層……つまりジャッツがバリバリの刑事だった現役時代を知る年齢層は、毎日確実に減っていた。
何しろ、彼が現役を退いてから三十数年の時が経っているのだから。

そして彼を再び有名にしたのがこの物語。
とっくに死んだと思われていたナチスの元将校と、その男が持って逃げたというお宝をめぐる血なまぐさい事件だった。

    ********

ナチスの財宝が絡んだミステリ小説は、決して珍しいものではないが、このハードボイルド・ミステリの最大の特徴は、なんと言っても主人公が87才と高齢なこと。
主人公が肌身離さず持っているのは、現役の敏腕刑事だったころからの相棒357マグナムと痛烈な皮肉、そして忘れたくないことを書き留めておくための“記憶帳”だ。
ちなみにこの“記憶帳”の1ページ目に書かれているのは妄想は老人性認知症の初期症状だという主治医の言葉。

「あいつが怪しい」「つけられている」…そう思うのは、元刑事のカンかそれとも“初期症状”なのか?!

事件の真相を追いながらも、老いに追いつかれないように必死にもがくジャッツの姿がとても切ない。


作者が祖父をモデルに生み出したというこの主人公。
口は悪いがパンチは弱く、ちょっとしたことで内出血だらけになってしまうご老体ではあるが、シニア萌えの私でなくても、その魅力にノックアウトされる読者は少なくないはずだ。

              (2014年09月21日 本が好き!投稿

『恥さらし』

 

恥さらし (エクス・リブリス)

恥さらし (エクス・リブリス)

 

 1988年生まれというチリの若手作家によるデビュー短篇集。
1990年代から現在までのチリを舞台にした9つの作品が収録されている。

ラテンアメリカの作品と聞くとどうしてもマジックリアリズムを思い浮かべてしまいがちだが、この作品群にはそういった色合いはなく、むしろ古い記憶をたぐり寄せるようなどこか懐かしい、それでいてまるで読み手自身の記憶のように生々しい雰囲気がただよう。

貧困や格差という社会のひずみ、働く女性の苦難、母と娘の関係など、地球の裏側にもやはり、同じような問題が存在し、同じように閉塞感を抱えて生きている人たちがいるという現実を、読み手につきつけるような物語たちは、それだけに生々しさが強烈で、読み手によって好き嫌いがはっきり分かれそうでもある。

「同じよう」でありながら「全く違う」9つの物語の冒頭の一節とともに紹介してみよう。

「あとどれぐらい?つかれたよう」ピアが愚痴をこぼし、荒く息をつき、重そうに足を引きずった。(「恥さらし」)
9歳のシモーナは、失業中の父と幼い妹とともに面接会場に向かう。新聞にその募集記事を見つけたのは自分なのだという誇らしい気持ちを抱きながら…。
この表題作に一気に心を持っていかれる。

彼を見たのは図書館から出てきたときのことだった。(「テレサ」)
彼女は小さな女の子を連れたその男とともに歩き出す。

僕たちは、この国でいちばん醜い都市のひとつにあるいちばん貧しい地区のひとつに住んでいた。(「タルカワーノ」)
軍港のある寂れた地方都市タルカワーノに暮らす「僕」は、仲間たちとバンドを組む計画を立て、教会から楽器を盗みだすために、ニンジュツの修行を始める。
これ、好きだなあ。

悲しすぎるから、日記を始めてもいいかもしれない。(「フレディを忘れる」)
いっしょに暮らしていた男に去られ、母の元に帰った女性。
語られる中身はなかなかしんどいのに、物語の最初から最後までずっと、彼女がお風呂につかっているというのがなんとも。

わたしは隠れている。漂う光線、この隠れ処の唯一の境界に囲まれたぼやけた暗がりにもぐり込んでいる。そう、隠れてはいるが、なぜだかはよく思い出せない。(「ナナおばさん」)
「あのころのわたしは、滑稽なほど世界を相手に胸を張り、世界を打ち負かして無傷でいられると信じていた」という一節とともに忘れがたい作品。

二か月前、友だちのドロシーと落ち合った。(「アメリカン・スピリッツ」)
かつてのアルバイト仲間だったドロシーに呼び出された語り手は、彼女から意外な告白を聞く。

ホセファは短い夢から覚めようとしていた。(「ライカ」)
イカはライカでもカメラではなく、宇宙に行ったあの犬のライカだった。

これから話すのは、俺の子ども時代の最後の夏に起きたこと、俺の人生が一変し、決定的な方向に進む直前の、あの本能的かつ無意識の状態として俺が理解している子ども時代についての話だ。(「最後の休暇」)
選択肢は他にもあったが、今自分がたっている場所は、自分自身が選んだ場所だという自負とともに語られる思い出。これもよかった。

手鏡が床に落ちたとき、女はうめくのをやめた。(「よかったね、わたし」)
まさか手鏡を、そんなことに使うとは……。
収録作品の中で最も長いこの作品について、私はまだ消化できていない気も。

全てを語り尽くさない短編の特性を最大限に活かしたかのような、謎めいた余白が想像力を刺激して、独特の読後感を醸し出す。

いやこれ、私は好きだなあ。
(あれって本当はどういうことだったのかしら…)などと、時々思い出しては考えてしまいそうではあるけれど。

『火の娘たち』

 

火の娘たち (岩波文庫)

火の娘たち (岩波文庫)

 

ネルヴァルの作品を是非読んでみたいと思ったのは
原民喜『夢と人生』を読んだ時だった。
あの短い文章の中で原民喜が読んだことがないのだけれどとつぶやく、
ネルヴァルの「夢と人生」を私も読んでみたいと思ったのだが、
入手することができず、
読みたい本のリストに入れたままの状態だった。

そんなわけで、岩波文庫からネルヴァルの本が出ると聞いたとき、
残念ながら「夢と人生」は収録されていないことはわかっていたが、
まずはネルヴァルに触れてみようと購入したのだった。

以来、1年近くかけて、少しずつ、少しずつ読んできた。
なにしろ文庫ながら容易に自立する分厚い本なのだ。
おまけに収録作品も小説・戯曲・翻案・詩と多岐にわたっている。

一気に読んでしまっては
それぞれの印象が薄まってしまいそうな気もして
一つ、また一つと読み進めていった。

収録作品の中でおそらく最も有名なのは「シルヴィ」で
巻末の訳者解説や帯でも
マルセル・プルーストをして
『シルヴィ』のなかには、
つねづね私が表現したく思っているいくつかの謎めいた思考法則が、
みごとに表現されている

といわしめたとか
ウンベルト・エーコ
これまでに地上で書かれた最高にうつくしい書物のひとつ
評したことなどが紹介されている。

シルヴィは“青年時代に少年時代を思い出したことを、
中年の語り手が思い出している”という構造の物語で、
後から思えば恋ともいえないような想いを軸にした追憶と郷愁の物語だ。
冷静に考えれば、
「キミはいったい彼女のなにを見ていたのか」と
膝詰めで問いただしたいような気がしないでもないが、
思い出をたぐりよせれば自分もやはり、
幼い日、若かりし日の恋物語は、
相手のことなどよく知りもせず、
恋に恋をしたのではなかったかと思わず自問自答する。

収録作品のうちで私の一番のお気に入りは『アンジェリック』。
ナポレオン三世専制政治の下
新聞における連載小説掲載禁止令うけて書かれた「連載記事」だ。

連載小説ではありません。
私が書くのは実在の人物の伝記です。
今丁度、貴重な資料を求めて○×に来ています。
新たな資料が入手できそうなので、××に向かいます。
かの人物を追いかけていたところ
意外な人が浮かび上がってきました。

旅先から編集部に送るという体裁で書かれたレポートが
見事な物語になっている。

訳者の野崎歓氏は、ネルヴァルを卒論で扱って以来、
四十年近く読み続けて少しも飽きないという。
その思いは、巻末に収録された充実した解説はもちろん
豊富な訳註にも反映されていて
読み応えのある1冊になっている。 

『夢と人生』

 

夢と人生

夢と人生

 

 夢のことを書く。お前と死別れて間もなく、僕はこんな約束をお前にした。
そんな言葉で始まる文章は、病死した妻に語りかける様に優しく穏やかにそれでいてとても切々と綴られていく。
彼はなにも書かれていないノートを持ち歩いている。
時折、書こうとは思うのだ。
だが広島で原子爆弾の惨劇を目の当たりにした彼はどうしてもすっきりした気持ちになれなかったのだ。

僕はあの無数の死を目撃しながら、絶えず心に叫びつづけていたのだ。これらは「死」ではない、このように慌しい無造作な死が「死」と云えるだろうか、と。それに較べれば、お前の死はもっと重々しく、一つの纏まりのある世界として、とにかく、静かな屋根の下でゆっくり営まれたのだ。僕は今でもお前があの土地の静かな屋根の下で、「死」を視詰めながら憩っているのではないかとおもえる。あそこでは時間はもう永久に停止したままゆっくり流れている……。



彼は、昔妻と住んでいた場所を訪ねてみる。
見慣れた、懐かしい風景を目にして家に戻れば、お前の病床もそのままあって、僕は何の造作もなくお前の枕頭に坐れるかもしれない……。とかすかな希望を抱く。
その家はまだあった。
けれどもそこには………。

僕はあのネルヴァルが書いたという「夢と人生」はまだ読んだことがないのだ。
けれども、僕は……。


原民喜はやっぱり“詩人”なのだなあとしみじみ思う。
とても切ない文章なのだ。
と同時にハッとするほどとても美しい文章だった。
             (2016年03月13日 本が好き!投稿)

『ひきこもり図書館 部屋から出られない人のための12の物語』

 

 突然ですが、あなたは好きなものから食べる派?それとも最後までとっておく派?
私は好きなものは一番最後までとっておく派!
けれども長年の経験から、この方法だと、最後のお楽しみにたどり着くまでに、お腹いっぱいになってしまって、肝心要とっておきの一口のおいしさが半減してしまう危険があることも悟っているので、まず最初に二番目に好きなものを食べることにしていたりする。

そんなわけで、アンソロジー
『絶望図書館』や『絶望書店』でお馴染みの名アンソロジスト頭木弘樹が集めた“ひきこもり”文学集だ。

編んだ方は、収録の順番通りに読むことを望んでいるのかもしれないが、こうバラエティに富んでいると、どうしたって目移りしてしまうのはしかたがないこと。

まずは目次を確認し、最後に読むのはハン・ガンの「私の女の実」にすると決めた。
となると最初はやっぱり萩尾望都の「スロー・ダウン」でしょ。

まさかこんなところで、モー様にお会いするとは!と思いつつ、図書館の扉をあけると、そこはもう萩尾望都
外界から遮断され精神的に追い詰められた青年のそのギリギリの極限状態の描き方、一気に解き放たれる開放感!それに続く……。
これはもう、さすがとしか言いようがない。

最初にこの作品を読んだ副作用か効能か、相性抜群のポー作品はもとより、朔太郎も、星新一も、桃太郎でさえも、まぶたの裏に浮かぶのは、モー様モードの登場人物と舞台装置!?

たとえば“平凡退屈な日常茶飯事を、何等の感激もない平淡無味の語で歌った”子規の歌は自分にとって長い間謎だったと言い放つ、萩原朔太郎の「病床生活からの一発見」。
朔太郎自身が病に伏せり、引きこもってみてはじめてわかったというあれこれが書かれているエッセイで、なかなか面白かったのだけれど、なんだか青白そうな朔太郎の横顔が、モー様バージョンで頭に浮かんできて憂い満点!?
さすがに正岡子規は、当人の風貌のイメージが強すぎて、ギャグタッチになりはしたが。

あるいは、梶尾真治の「フランケンシュタインの方程式」。
宇宙船の中の酸素が欠乏し、目的地まで、一人分しかないと解ったとき、二人の乗組員がとった選択は!?
これはもう内容からしても、手塚治虫系の絵柄が似合いそうなのだけれど、モー様モードで思い浮かべると、悲壮感がかなりかさ増しされる感じ。

それにしても「屋根裏の法学士」の宇野浩二、以前読んだ『世界文学と日本近代文学』でも紹介されていたけれど、もしかしてひきこもりの大家なのでは!?

待望のハンガン「私の女の実」はというと、ベランダに立つ女の姿は、寂しさも苦しさもすべてを身にまとって、モー様の絵を思い浮かべるまでもなく、文字だけでも十二分に残酷なほど美しい。
モー様の絵にも合うけれど、山岸凉子あたりにも描いて貰いたいような…。


“ひきこもり”という言葉から連想しがちな暗いイメージではなく、“ひきこもった”ことで向かい合わざるを得なかったあれこれを描いているバラエティ溢れる作品が並んだ、一度ならず二度三度と訪れてみる価値のある図書館だといえるだろう。


<収録作品>
萩原朔太郎「死なない蛸」/フランツ・カフカ「ひきこもり名言集」/立石憲利「桃太郎――岡山県新見市」/星新一「凍った時間」/エドガー・アラン・ポー「赤い死の仮面」/萩原朔太郎「病床生活からの一発見」/梶尾真治フランケンシュタインの方程式」/宇野浩二「屋根裏の法学士」/ハン・ガン「私の女の実」/ロバート・シェクリイ「静かな水のほとりで」/萩尾望都「スロー・ダウン」/頭木弘樹「ひきこもらなかったせいで、ひどいめにあう話」(上田秋成吉備津の釜」)/あとがきと作品解説