かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『恥さらし』

 

恥さらし (エクス・リブリス)

恥さらし (エクス・リブリス)

 

 1988年生まれというチリの若手作家によるデビュー短篇集。
1990年代から現在までのチリを舞台にした9つの作品が収録されている。

ラテンアメリカの作品と聞くとどうしてもマジックリアリズムを思い浮かべてしまいがちだが、この作品群にはそういった色合いはなく、むしろ古い記憶をたぐり寄せるようなどこか懐かしい、それでいてまるで読み手自身の記憶のように生々しい雰囲気がただよう。

貧困や格差という社会のひずみ、働く女性の苦難、母と娘の関係など、地球の裏側にもやはり、同じような問題が存在し、同じように閉塞感を抱えて生きている人たちがいるという現実を、読み手につきつけるような物語たちは、それだけに生々しさが強烈で、読み手によって好き嫌いがはっきり分かれそうでもある。

「同じよう」でありながら「全く違う」9つの物語の冒頭の一節とともに紹介してみよう。

「あとどれぐらい?つかれたよう」ピアが愚痴をこぼし、荒く息をつき、重そうに足を引きずった。(「恥さらし」)
9歳のシモーナは、失業中の父と幼い妹とともに面接会場に向かう。新聞にその募集記事を見つけたのは自分なのだという誇らしい気持ちを抱きながら…。
この表題作に一気に心を持っていかれる。

彼を見たのは図書館から出てきたときのことだった。(「テレサ」)
彼女は小さな女の子を連れたその男とともに歩き出す。

僕たちは、この国でいちばん醜い都市のひとつにあるいちばん貧しい地区のひとつに住んでいた。(「タルカワーノ」)
軍港のある寂れた地方都市タルカワーノに暮らす「僕」は、仲間たちとバンドを組む計画を立て、教会から楽器を盗みだすために、ニンジュツの修行を始める。
これ、好きだなあ。

悲しすぎるから、日記を始めてもいいかもしれない。(「フレディを忘れる」)
いっしょに暮らしていた男に去られ、母の元に帰った女性。
語られる中身はなかなかしんどいのに、物語の最初から最後までずっと、彼女がお風呂につかっているというのがなんとも。

わたしは隠れている。漂う光線、この隠れ処の唯一の境界に囲まれたぼやけた暗がりにもぐり込んでいる。そう、隠れてはいるが、なぜだかはよく思い出せない。(「ナナおばさん」)
「あのころのわたしは、滑稽なほど世界を相手に胸を張り、世界を打ち負かして無傷でいられると信じていた」という一節とともに忘れがたい作品。

二か月前、友だちのドロシーと落ち合った。(「アメリカン・スピリッツ」)
かつてのアルバイト仲間だったドロシーに呼び出された語り手は、彼女から意外な告白を聞く。

ホセファは短い夢から覚めようとしていた。(「ライカ」)
イカはライカでもカメラではなく、宇宙に行ったあの犬のライカだった。

これから話すのは、俺の子ども時代の最後の夏に起きたこと、俺の人生が一変し、決定的な方向に進む直前の、あの本能的かつ無意識の状態として俺が理解している子ども時代についての話だ。(「最後の休暇」)
選択肢は他にもあったが、今自分がたっている場所は、自分自身が選んだ場所だという自負とともに語られる思い出。これもよかった。

手鏡が床に落ちたとき、女はうめくのをやめた。(「よかったね、わたし」)
まさか手鏡を、そんなことに使うとは……。
収録作品の中で最も長いこの作品について、私はまだ消化できていない気も。

全てを語り尽くさない短編の特性を最大限に活かしたかのような、謎めいた余白が想像力を刺激して、独特の読後感を醸し出す。

いやこれ、私は好きだなあ。
(あれって本当はどういうことだったのかしら…)などと、時々思い出しては考えてしまいそうではあるけれど。