物語になりそうな話があると声をかけられるときは、たいていあてにならないと思っていい。おもしろくないからではなく、あるエピソードを作品にするには、それを何度かに分けて受けとる必要があるからだ。時間のフィルターを通して、複数の声で、いくつもの視点から語られるのがいい。ぱっと来て、二分だか五分だかで語られた話は、組み立てられたプラモデルの飛行機のようなものだ。すばらしい模型かもしれないけれど、プラモデル好きなら、袋に入ったままの、まだ組み立てられていないただの部品をほしがるだろう。ぼくが必要としているのは、つくりあげる余地のある物語のたねだ。もう手を入れようのない完成品じゃない。
(「クラス一の美少女」より)
アルゼンチンの児童文学作家マルセロ・ビルマーヘルの10篇の作品を収めた短篇集。
ジャンルとしてはYA小説に分類されるのだろうが、若い世代だけに独占させておくのはもったいない読み応えのある作品群だ。
10代は10代なりに、その親世代、あるいは祖父母世代にはそれぞれの世代なりに、響くもの突き刺さるもの、受け取るものがあるというのが、優れたYA小説であるということなのだろう。
物語の主な舞台は、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスのユダヤ人コミュニティで、いずれの作品でも語り手の小学校、中学校、あるいは高校時代の思い出が核になっている。
遠い街の見知らぬ人々の話であるにもかかわらず、何だか妙に身に覚えがあったり、聞き覚えがあったりしそうな懐かしさをおぼえるエピソードはしかし、いつの間にか膨らんだり、あらぬ方向に飛んでいったりしながら、予想とは少し違った着地点に読者を導く。
ちょっと困った人々を優しく包み込むような視線と、行間からにじみ出るユーモアが、決して明るい題材ばかりではないにもかかわらず、読み手の心をじんわり温めてくれもする。
とりわけお気に入りは、ピンチになるとあらわれる「見知らぬ友」、観賞魚が仲立ちする淡い想い「ヴェネツィア」、作家の子ども時代を思わせる「地球のかたわれ」あたり。
本書のトリをつとめる「クラス一の美少女」も忘れがたい。