かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『ダフォディルの花』

 

ダフォディルの花:ケネス・モリス幻想小説集

ダフォディルの花:ケネス・モリス幻想小説集

 

 翻訳家の中野善夫さんが飯野浩美さんと共訳した新刊が、例によって例のごとく国書刊行会から出て、装画も林由紀子さんだと知った時、これもまたきっと美しくて分厚い本に違いないと思った。
しかもケネス・モリスだという。

もう随分前の話だが、ル=グウィンが『夜の言葉』という本の中で、ファンタジー分野の名文家として、トールキン、エディスン、モリスをあげているのを読んで、トールキン好きの私としては、他の2人の作品も是非とも読んでみなくてはと思って探してみたものの、エディスンは今ひとつ肌に合わず、モリスはその邦訳作品にたどり着けなかったのだった。

正直に言えば、そんなことはしばらく前まですっかり忘れていたのだけれど、この本の話題を目にするようになって思い出し、今度こそ絶対読まねばと思っていた。

そうして読んでみた本は、これがもう、ちょっと言葉で表現できないほど美しかった。

どこをどう紹介すれば、この美しさが伝わるだろうかと考えるも、どこもかしこもと迷ってしまうのでランダムに頁を開いてみる。

開いたのは269頁

 広大な空から太陽は姿を消したが、まだ夜は華やかな星々を引き連れて姿を現すには至っていない頃、その空の下では、大西洋が夢を見ながらのんびりうねっていた。

「人魚の悲劇」(中野訳)の冒頭だ。

続いて開いたのは195頁

 峠に立てば、人の世はすべて背後に去り、前方はむろん、どちらを見ても山の神秘の世界だった。正面の谷の向かい、暗く仄かに浮かび上がる山々は森に覆われ、彼方には、青玉の空に咲いた百合のあえかな花びらのごとく、雪を被った山巓に入り日が淡紅と浅緋と青の彩りを刷いていた。

「白禽の宿」(館野訳)

どうだろう、少しは伝わっただろうか。

それにしても「あえか」などという言葉に遭遇したのは、まだいとあえかなるほどもうしろめたきにというあの源氏物語藤裏葉のくだりを読んだとき以来ではなかろうか?

訳者お二人の隅々まで気を配った言葉の選び方はこれ、原文の雰囲気を伝えるための苦心に違いないと想像しながらいちいちうっとりしてしまう。

もちろん美文だというだけではない。

収録された29の物語は、様々な神話や伝説、時には音楽をもモチーフにして築きあげられていて、この1冊で、様々な国を旅した気分にも、迫力ある音楽に耳を傾けたような気にもなることができる。

それがヨーロッパや中東の…というだけならまだ想像できなくもないが、インドや中国を舞台にした物語もまたすばらしく、1879年にウェールズに生まれたという作家の頭の中はいったいどうなっていたのだろうかと、創作の背景に思いをはせもした。

およそ2週間ほどかけて読み終えはしたものの、〆切さえなければ、もっとゆっくり浸っていたことだろう。
いつ読んでも、どこから読んでも楽しめる本だとわかったからには、またいつでも再読できる場所に置いて楽しむことにしようとも思う。


最後に、一人でも多くの皆さんを夢の世界に誘うべく、どれほど楽しみ、興奮して読み進めたか、某所でのつぶやきを日記風に紹介してみよう。


<読み始めて2日目>
おおっ!まだ読み始めたばかりだけれど、これいいわあ!物語に酔いしれながら、古今東西、本で旅する世界旅行!という感じ
美しい本!装丁だけでなく、中身も!

<4日目>
インド、イラン、サウジアラビアギリシャラップランドと美しく幻想的な風景に魅せられながら旅をしてきた。今度はどこへ連れて行ってくれるのかしら。

<5日目>
結末は予測がついてもなお魅せられる壮麗な龍の絵姿!!

<7日目>
美しい言葉で綴られた物語にありがちな、幻想世界におきざりにされたようなつかみ所のなさはなく、どの物語も最後はきっちりピリオドが打たれる。それでいていつまでも夢の中にいるようで。

<9日目>
物語を読み終えて、バッハを聴き、バッハを聴き終えてから、再度物語を読んでみた。なんと贅沢なひととき!

<11日目>
読み終えるのがもったいなくてゆっくり読もうと思っていたのに、これもステキ!これもいい!と読み進めるうちにとうとう終わりが見えてきた。でもいいか。また何度でももどってくれば。