キリスト教色の強い明治社会主義に惹かれて、
運動に加わろうと女学校卒業目前に家出した少女は、
やがて二児をかかえながら、
印刷工として労働運動に身を投じ、
三・一五事件に連座した上、
出獄後はゾルゲ事件に関わって再び刑務所に収監される。
戦後は夫の「転向」により、
以前の仲間たちの中には戻れず、
それでも、恨み言一つ言わずに波瀾万丈の人生を歩み続けた
九津見房子に対する貴重な聞き書き記録。
戦争が終わり、治安維持法が過去のものとなった後にも
誰か彼かに迷惑がかかることをおそれて
その重い口を容易に開かず、
公開するなら自分が死んでからにして欲しいなどいい、
それでもなお、語ることのできなかったらしい
九津見の抱え込んだあれこれに
思いをよせながら書き取った物語。
九津見からの聞き書きを補強する形で
山辺健太郎、安田徳太郎、近藤真柄の目に映った九津見についても
聞き取りをおこなったものが同時収録されている。
この本については、
九津見房子の長女が書いた『母と私』のまえがきで
作家の 山代巴も触れていて
喜寿を過ぎた九津見が、
旧知の仲で彼女の一番痛いところに触ろうとする自分よりも
過去の彼女を知らず、黙って耳を傾けてくれる牧野を
聞き手に選んだのだろうと述べている。
山代の指摘するとおり、
この本には、明治から昭和にかけて社会の矛盾に正面から抗おうとした
一人の女性活動家の波瀾万丈の暦が描き出されれていて
それ自体は読み応えがあるものではあるが、
九津見自身が語りたがらなかった
母として、妻として、女としての葛藤についてはやはり、
本書から遅れることおよそ10年後に世に出た
九津見の長女が書いた本を待つしかなかったというところか。