かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『評伝 伊藤野枝 ~あらしのように生きて~』

 

正直に言えば、つい最近まで伊藤野枝には全く興味が無かった。
アナーキスト大杉栄と内縁関係にあり、関東大震災直後に憲兵によって大杉と共に虐殺されたということは聞き知ってはいたが、大杉が関係を持っていた複数の女性のうちの一人で、痴情のもつれから起きたとされるいわゆる「日蔭茶屋事件」の関係者であるということから、「恋愛の自由」をはき違えた男に踊らされた女というイメージを持ってもいた。

そんな私がここしばらく伊藤野枝関連の本を読みあさっていたのは、ひとえにこの評伝のせいである。
著者の堀和枝氏はこれまで「管野須賀子」「九津見房子」と読み応えのある評伝を執筆していて、本書が権力に”抗う”女性三部作の最後を飾るものだというのだ。

治安維持の名の下にかたや死刑に、かたや年端もいかない娘と共に拷問され投獄されてた二人の女性の後に続くとなれば、これはやはり読んでみなければと思ったのだった。


堀氏の評伝の特徴の一つに、元資料からのふんだんな引用があげられ、思わず原典にあたりたくなるような箇所が多数紹介されているので、結局、私はこの本を読みながら、伊藤野枝の著作はもちろんのこと、辻潤の「ふもれすく」、大杉栄「死灰の中から」、野枝の翻訳によるエマゴールドマンの「結婚と恋愛」他数点、内田魯庵の「最後の大杉」、野枝と親交のあった野上彌生子の小説などあれこれと読み散らかすことになってしまったのだった。

けれどもそのことを全く後悔していないどころか、それらがあまりに面白くてさらに関連本を積みつづけていたりもする。

それはさておき、この評伝だ。

「第一章:広い世界へ」は野枝の生い立ちから語り始められる。
1895年(明治28年)に福岡県の今宿村で生まれたノエは、伊藤家にとっては二人の男の子の下に生まれた初めての女の子だった。
伊藤家はかつては手広く商いを手がけていた旧家だったが、祖父の代から傾きか始めた身代は、父の代で完全に没落、育ち盛りの子どもたちの食費にも事欠くほどになった。
そのためノエも幼年期に口減らしのために養子に出されるも養父母の都合で実家に戻され、その後も親せきに預けられたりしたのだという。
高等小学校卒業後は通信伝習生養成所に学び、郵便局の事務員となるも、進学と上京を諦めきれず、東京に住む叔父に援助を求める手紙を書いてついに夢を実現させる。

上野高等女学校に入学し、有意義な学生生活を送るが、その一方で卒業までの学費は婚家がもってくれるという条件で父と叔父が決めた結婚話も進められていた。

卒業後すぐに婚家に入るも、この結婚にどうにもがまんができなくて数日で出奔、女学校時代の英語教師辻潤の元に転がり込む。
このスキャンダルが原因で辻潤は失職してしまう。
といった、なかなかに波乱に富んだ少女時代が、野枝の書いた自伝的小説や随筆、野枝の死亡後に辻潤が書いた「ふもれすく」などを引用しながら繙かれている。

続く「第二章:新しい女」では、平塚らいてうとのこと、「青鞜」のこと、エマゴールドマンに惹かれていく様子と共に、出産をめぐるあれこれも。
野枝とらいてうの深い結びつきを感じさせる章ではあるが、同時に引用されている著作や、紹介されている関連文書を読みこんでいくと、野枝のらいてうに抱いていた強いあこがれとともに、どうしてもらいてうの“限界”にも目が行ってしまう。
そしてそれはやはり野枝自身がらいてうに感じ始めていたものでもあったのだろう。
そうした野枝の気持ちに気づいているからこそのらいてうの野枝批判であり、らいてう本人は決して認めなかったであろうが、おそらく野枝に対し、相当強いコンプレックスを持っていたのではないか、とも思いもした。

「第三章:大杉栄との出会い」は、二人の出会いから日蔭茶屋事件まで。
世間からも活動家仲間からも激しい非難をあびることになった二人の関係に野枝はいう。
破滅と云うことは否定ではない。否定の理由にもならない。私は最初にこの事を断って置きたい。不純と不潔を湛えた沈殿の完全よりは遥かに清く、完全に導く。(「自由意志による結婚の破滅」)
この開き直りぶりはなかなかすごい。

実際に起こってしまったことを今さら非難しても仕方がないが、この点において私は、この間、関連本を読みあさっていて行き着いた野上彌生子の意見に大いに賛同したいところ。
辻との離婚と大杉とのことを相談された彌生子は野枝に、辻の元を去ることに異論は無いが、そのまま大杉氏の元に行くのは、大杉には問題ある女性関係もあることだしやめるべきだ。それよりも一人になって一、二年みっちり勉強してはどうか。その上でまだ大杉を慕うのなら、それから彼の元にいけばいいし、子どもとその父親の元に帰りたくなればそれもまたいいだろう。その間の生活費の援助ぐらいはしてあげるから、と言ったというのだ。(野上彌生子「野枝さんのこと」参照)
このエピソードは、彌生子の良家の奥様ぶりがうかがい知れるところでもあるが、それだけ彌生子が野枝の才能をかっていたということでもある気がする。

「第四章:二人の革命家」は大杉と野枝と子どもたちとの生活ぶりから、それぞれの活動のこと、関東大震災と虐殺事件まで。

「第五章:野枝の遺したもの」は、著者らしさがにじみ出るこだわりの最終章。
野枝たちの死に直接関わったとされる陸軍憲兵大尉(当時)甘粕正彦や野枝の子どもたちのことなど、他ではなかなか読めないその後を伝える丁寧な取材が興味深かった。


冒頭でも触れたが、アナーキズムが理解できるかどうかは脇に置いたとしても、私は大杉栄の女性観には疑問を持っていて、そこから彼の思想にも疑念を持たざるを得ないために、彼をパートナーに選んだ野枝への評価が低くなってしまっていたのだが、こうして評伝を読み、関連書籍を読んでみると、野枝がもっていた才能と可能性には大いに驚かされる結果となった。

それゆえ、もしも野枝が生き延びることが出来ていたならば、どんな道を歩み、どんな仕事をしただろうかと想像せずにはいられない。

たとえ生き延びることが出来たとしても、時代が時代だけに茨の道ではあっただろうが、28歳で失われるにはあまりにも惜しい才能だったとも思う。


共謀罪法」の成立に加え、改憲による「緊急事態条項」復活を危惧する著者が、戦前戦中に戦い、犠牲となった女性たちを取り上げて綴ってきた評伝三部作。

いずれも読み応えがある作品で、おかげでどっさりと関連書籍を積み上げてうれしい悲鳴もあがったが、なによりもまず、いつか来た道に引きずり込まれないように、私自身ができることをしていかなければとも思うのだった。