かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『伊藤野枝集』

 

「作品集」でも「選集」でもなく「伊藤野枝集」と題された本書は
・小説や日記など、創作物を7点を集めた第Ⅰ部
・『青踏』の編集部だよりを含めた評論・随筆と、大杉栄宛以外の書簡を収録した第Ⅱ部
大杉栄との往復書簡を収録した第Ⅲ部
・本書を編んだ森まゆみ氏による「嵐の中で夢を見た人――伊藤野枝小伝」と題する解説
に注釈と略年譜を加えたもので、
これがまさに、伊藤野枝その人をいろんな角度から眺めることができる構成になっている。

例えば、第Ⅰ部に収録されている
“雑音――「青鞜」の周囲の人々 「新らしい女」の内部生活(抄)”では、世間から様々な中傷やパッシングを受けていた、『青鞜』関係者への誤解を解くためにもありのままの様子を紹介する……というもののようなのだが、これが、そこまで書くか!と思うようなあれこれまで率直に、赤裸々に書き連ねられていて、これはこれで新たなスキャンダルを呼びはしないのか!?という気さえする。

平塚明子に憧れていた年若い野枝は、気性のまっすぐな情熱家だったんだろうなと思いはするが、世間の好奇の目に対しても、実名で登場する人たちのプライバシーに対しても、あけっぴろげすぎて、そういう時代だったのかもしれないと思いつつも、読んでいると何だか妙に不安になってくる。


代表作でもある“乞食の名誉”は、子どもへの思いと自分のやりたいこととの間で揺れる若い母親を描いた私小説で、作者を思わせる主人公の焦りが痛々しい。


“白痴の母”と“火つけ彦七”は、障害者の家族や被差別部落問題を取り上げた、小説家としての彼女の才能を感じさせる短篇で、もっと長く筆を持ち続けることが出来たなら、どんな作品を書いただろうかと思わずにはいられない。


青鞜』にまつわるあれこれも興味深いが、“青山菊栄様へ”で展開する廃娼問題では、売春をしなければ生活できないほどの貧困を問題にして切り返し、裕福で高学歴な女性たちが多かったであろう当時の女性活動家たちに一石を投じているかのよう。


“彼女の真実-中條百合子氏を論ず”に至って、私の中で伊藤野枝の好感度が急上昇!


さらには、与謝野晶子と平塚明子に並べて山川菊栄について語り上げる“山川菊栄論”の読み応えがすごい。
時代を代表する三人の女性それぞれの特徴、とりわけその「足りない部分」を指摘する鋭さときたら。

「私が見た野枝さんという人」(1923年)という文章の中で平塚らいてうは、野枝の特徴は「感情の自由性」にあり、自分自身の思想らしい思想は遂にもちませんでしたと述べた(関礼子「伊藤野枝という表象--大正期のメディア空間のなかで」参照)というが、少なくてもこの“山川菊栄論”を読む限り、野枝はとびきり精巧な自分の物差しをしっかりもっている人のように思われた。


その一方で第Ⅲ部に収録されている大杉栄との往復書簡は、緊迫した状況もあっただろうに、この甘ったるさは胸焼けもので、そのギャップに驚きもする。

もっとも、関東大震災直後の混乱に乗じて、憲兵隊員によって大杉栄とその甥とともに虐殺された時、7人もの子どもの母親だとはいえ、彼女はまだ28歳だったのだ。

もしも彼女が生き続けていたら、どんな思想をもち、どんなものを書いたのか、想像を巡らさずにはいられない。
そんな読み応えのある1冊だった。