かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『最後の大杉』

 

大杉とは親友という関係じゃない。が、最後の一と月を同じ番地で暮したのは何かの因縁であろう。
こんな書き出しで始まるのは憲兵によって虐殺された大杉栄を偲ぶ、内田魯庵のエッセイ。
一時期近所に住んでいたので頻繁に行き来していたという。

時には思想上の話もしたし、社会主義の話もしたが、文壇や世間の噂話が多かった。
大杉は興味がかなり広くて話題にも富んでいた。近年ファーブルのものを頻りに飜訳していたが、この種の文学的乃至ないし学術的興味を早くから持っていて、主義者肌はだよりはむしろ文人肌であった。魯庵は回想する。

そんな大杉と疎遠になったのは、引越をしたからというだけでなく、大杉から聞かされる“神近や野枝さんとの自由恋愛”の話に、“苦虫を潰さないまでも余り同感しなかった”せいでもあったのだろうと分析する。

私もまた、大杉栄という人のそのあまりにも身勝手な「恋愛観」に閉口して、嫌悪の気持ちすら抱いていたので、この部分には大いに共感したのだが、そこは魯庵、そのままでは終わらせない。

二人が再び親しく行き来するようになったのは、大杉が野枝さんと子どもたちと共に、すぐ近所に引っ越してきたからで、大杉は魯庵がおどろくほど子煩悩な父親になっていたという。
幼い子どもの世話をする野枝さんは世話する処はやはり世間並なみのお母さんであったとも。

そんなの野枝さんは微笑つつ、大杉のことを尾行が申しましたよ。児供が出来てから大変温和しくなったと。などと言ったのだとか。

二人の長女魔子ちゃんは、魯庵の子どもたちとすぐ仲良くなり、毎日のように遊びにきていた。
大杉と野枝さんが、行方不明になったときも、その訃報が伝えられたときも。

パパもママも殺されちゃったの。今日新聞に出ていましょう。
そういいながら、その日もまた遊びにやってきた7つの女の子の様子が、読者の胸を打つ。


それにしても…と、相変わらず魯庵の交友範囲の広いことには舌を巻く。
そしてまたいつもながらいいところをついてくる。

大杉栄がいつも乳母車を押して散歩している子煩悩な父親だったことや、自分の子どもと遊ぶ、栄と野枝の娘、魔子ちゃんの愛らしさや。
そういう日常が描かれているからこそのラストの衝撃。

大杉にかけられた嫌疑や、出所のわからぬあれこれの噂といったものも紹介しつつも、大杉にスパイなど務まるはずがないといい、自分が見た大杉とその家族の姿を正確に伝えることによって、読む者の心を捉える。

友人の死を心から悼む追悼文だ。