かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『オープン・ウォーター』

 

サウスイースト・ロンドンの地下にあるハブで、初めてきみと彼女が出会ったとき、きみたちは結ばれるにちがいないと確信した。

アイズレー・ブラザースのアップテンポの曲をバックに、ファーストコンタクトを気どるには余りに短く、言葉少なではあったけれど…。

あのとき、彼女はきみのともだちの恋人だった。

知人から友人へ、友人から親友へ、親友から恋人へ。

端から見ているとじれったいほどゆっくりと、距離を縮めていく二人。

きみが愛読する作家のエッセイに、こんなくだりがあったっけね。

「ハッピーエンドはすべての人に訪れるわけじゃない。いつだって誰かが取り残される。そして私のいるこのロンドンという街では、今のところ、その誰かというのは若い黒人男性であることが多いの」(p61)

「すごくよくわかったんです」サイン会の会場にきみが作家に伝えたかった言葉が漂う。

印象的な場面を拾い集めた映画を観ているような気分で、きみと彼女の物語を読み進めるうちに気づく。

ああそうか、これは写真だ。
場面場面を切り取って、そこに言葉を添えていく。
写真家らしいきみの手法なのだと。

誰かを知るってどういうことだろう。完全に知るなんてことできるのかな。そうは思えない。でもきっと、知ることの原点は知らないことで、知ることは理屈じゃない信頼から生まれるんだろう。きみたちはそれを解き明かし、なんとか理屈をつけようと必死になっている。ただそれだけのことなんだ。(p118)



「きみって○○に似ていないか」
肌の色が似ているというだけで、他には全く似たところがない第三者に似ていると言われるのは、きみにとってはよくあることだ。
きみの大きな体が店に入っていくと、警備員が後をついてくるのもいつものこと。
きみと見た目が似ている警備員も、そうではない警備員も…。
きみとは全く違う名前を出してきてきみの人格をかき消そうとしてくることもまた…。

自由って、誰もがいつでも感じられるものなのか。それとも、きみたちは時おり訪れる短い瞬間にしか感じられないさだめなのか。(p132)



目の前で知り合いが殺されて、きみの中にある怒りと絶望が、一つに重なっていたはずのきみと彼女の距離を広げる。

この気持ちをどうすればいいのか?ときみは何度も自問する。
身を隠すのは、何も悪いことをしていないのを時々忘れてしまうから。
ポケットにはなにも入っていないことを忘れてしまうから。
きみのその絶望はどこからくるのか。
自分の存在は、認めてもらえず、耳を傾けてもらえないこと。
あるいは、きみが求める形では認めてもらえないこと。
自分の存在はただ黒人の肉体を持っているというだけで、ほかには何もないっていうこと

それでも、きみには、きみたちには、愛しあうことを諦めて欲しくない。
祈るような気持ちでページをめくる。


ガーナ系イギリス人作家による長編デビュー作は、時折すすり泣きが聞こえるような、とても静かな、とてもせつないラブストーリーだ。
と同時に、穏やかな声でありながらはっきりきっぱりと、ロンドンという街にはびこる人種差別をも描き出す。

そういえば、きみは言っていたっけ。
きっと、これからこの質問は、こんな形ですべきなんだろう。どの作品が好きかと訊くんじゃなく、こう訊くんだ。何度も読み返すのはどの作品?って。(p60)

この先、私はきっとこの本を何度も繰り返して読み返す。
たとえ最初からページをめくりなおさなかったとしても、思いつきでぱっと開いたどのページにも、心に残る名場面が切り取られているに違いないから。